さて、冒頭の部分です。
山路を登りながら、こう考えた。誰かが山路を登りながら、何かを考えているといいます。誰かというのは、のちに画工である「余」と判明しますが、ここではまだわかりません。
この一文に、日本語の特徴と、小説の特徴が現れています。
日本語の特徴というのは、日本語では主語を明示しないことが多いということです。たとえば、『草枕』冒頭の文は「私」という主語を明示して、次のような文にすることができます。
私は山路を登りながら、こう考えた。文法的に誤っているわけではないし、意味もわかりますが、何となく余計なものがくっついている感じがします。日本語の主語の省略について述べるとき、よく引き合いに出されるのが、川端康成の小説『雪国』の冒頭です。サイデンステッカーの英訳と合わせてみてみましょう。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。日本語では主語がありませんが、英語ではthe trainという主語が補われています。日本語には主語がないので英語も主語なしで、というわけにはいかないのですね。『雪国』の冒頭の文だけでは、少なくとも英語話者にとっては、誰が(あるいは何が)トンネルを抜けたのかというのがわかりません。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
(直訳:汽車は長いトンネルを抜けて雪国まで来た)
『草枕』も英訳されていますので、ついでにこちらもみてみましょう。訳者はアラン・ターニーです。
山路を登りながら、こう考えた。ちなみに、タイトルの『草枕』は、『The Three-Cornered World』と訳されています。直訳すると「三角の世界」。この理由はのちのち出てきますのでお楽しみに。
Going up a mountain track, I fell to thinking.
(直訳:山路を登りながら、余は考えはじめた)
さて、主語を明示しなくてもよいという日本語の特徴の他に、小説の特徴も現れていると先に書きました。では小説の特徴とは何かというと、語り手(あるいは視点)の問題です。
小説という文芸は近代以降の産物です。日本においては、江戸時代末期の開国と明治維新を経て、新しい文芸として輸入され発展してきました。
『草枕』は1906年(明治39年)に雑誌『新小説』に発表され、翌1907年に『鶉籠』に収録されました。このあたりで「言文一致運動」がある程度収まりをつけています。
「言文一致運動」というのは、簡単に言えば、話し言葉(言)と書き言葉(文)を一致させようという動きです。一致させようというからには、言と文が違っていたということです。どのように違っていたかというと、こちらも単純に言えば、書き言葉が漢文調でした。いわゆる「文語文」です。この文語文を口語文に一致させようとしたのが「言文一致運動」です。このあたりの話はいろいろな方が論じておりますし、私も詳しくはありませんので割愛しますが、漱石の存在が日本の近代小説の確立に大きく影響しているということはお伝えしておきたいと思います。
小説の視点・語り手についてですが、大きく一人称小説と三人称小説に分けることができます。一人称小説は一人称である「私」の視点で語られたもの、主語は「私」となり、「私」は小説内の登場人物として登場します。三人称小説はいわゆる神の視点という言い方がなされますが、語り手が登場人物として小説内に出てくることはなく、通常は登場人物の誰かに焦点を当てて叙述をなしていく小説です。『草枕』は一人称小説となります。
日本での一人称小説は、「私小説」を中心に発展してきました。作者自らの体験なり生活なりを小説にするというやり方です。私小説についても細かく話しはじめるとキリがないので割愛しますが、漱石の『草枕』は一人称小説で、漱石自身の経験体験をもとに書いていますが、作者と語り手の区別に自覚的であったことは押さえておいていいと思います。
『草枕』の一行目だけで長くなってしまいました。次回、やっと二行目以降に進んでいきたいと思います。
≪…『草枕』と『三角の世界』…≫を、≪…「非人情」…≫(数理)と[不人情](感情・情念)で、数の言葉ヒフミヨ(1234)に触れる。
返信削除半分こ√四角でヒフミヨに
真四角はインイチ1隠れる2
(正方形の半分の三角の√のうちの足し算は、√1=1なので1 1+1=2 で、三平方の理の隠れた姿(√1)²+(√1)²=(√2)²
1+2=3 は、1×√2 のながしかくの半分この対角線√3 だから、√のうちの足し算は、1+2=3
進み行く√ながしかくは、数の言葉ヒフミヨ(1234)の△と□の関係(縁起)を知る。
≪…四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。…≫を、
【 四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのをヒフミヨ(1234)と呼んでもよかろう。】
半分こヒフミヨすすむ力なり
数の川を 隔てて カオス哉
数の言葉ヒフミヨ(1234)は、カオスとコスモスを行き来できる。
この風景は、3冊の絵本で・・・
絵本「哲学してみる」
絵本「わのくにのひふみよ」
絵本「もろはのつるぎ」