宮本武蔵の兵法「二天一流」は、勝つことを目的として生み出されたものです。
まさしく真剣勝負であり、負けることは死に直結するため、実戦において勝つために編み出されたもの。
では、(勝手に名付けた)「話聞一流」は、何のためにあるか?
宮本武蔵の『五輪書』「地の巻」には、兵法について、次の言葉があります。
武士の兵法をおこなふ道は、何事においても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の切合にかち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実の時にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにしゆる事、是兵法の実の道也。
どんなときでも勝つことを根本とすること、そして実戦で役立つこと、それが兵法の真の道。
一刀よりも二刀の方が有利であるから、二刀流が生まれたのです。
「話聞一流」は「話す」と「聞く」の二刀流。
「話す」だけ、「聞く」だけよりも、二刀流である「話聞」の方が有利であるところから生まれてきました。
さて、何に有利なのか?
私はここに、「自己わもん」を見ます。
自分の「声なき声」を聞くために、「話聞一流」の鍛錬が必要だと感じます。
相手の声なき声を聞くことにより、相手が自然と動き出すことと同時に、自分の声なき声を聞くことにより自分が自然と動き出す。
今の自分よりも未来の自分が成長する。
過去の自分に勝つ。
そのために作りだした言葉が「話聞一流」です。
「話す」だけ、「聞く」だけよりも、「話聞(わもん)」の方が有利であると考えるからです。
世の中には、「上手な話し方」や「上手い聞き方」などの書籍なども出回っています。
仕事をするまで、話し方・聞き方ともにあまり練習はしていませんでした。
そして、コミュニケーションが本当に大切だと思い始めたのは、最近のこと。
一流の道、初心のものにおいて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。「話す」と「聞く」を両手に持って道を仕習うことが、真の道かと思います。
そして常に限界突破。
自分が作りだしている壁の限界突破のための「話聞一流」です。
0 件のコメント:
コメントを投稿