心徒塾からの帰り。
新快速の方が速いのですが、新快速の発車まで少し時間があり、快速の方が空いていることもあり、京都駅から快速に乗りました。
やぶちゃん、常ちゃん、私の3人で向い合せの座席に座り、本日の心徒塾のことなどを話していました。
やぶちゃんと常ちゃんが横並びに座り、私がやぶちゃんの向かい側です。
心徒塾は、疲れながらも楽しく終了。
さまざまな気付きがあり、他の方の気付きのシェアもあり、自分自身の課題も少しずつ明確になっていきます。
自分自身をもっと明確にしていきたいと思っていました。
そして、もっと自分を高めていきたいとも。
電車内では、いつからか、私は自分が思っている自分の話をしていました。
このブログではちょこちょこと自分自身のことを書いてはいますが(いや、あまり書いていないかも…)、人と話すときは、あまり自分のことを話すことはありません。
特に、自分が得意だと思っていることとか、自分自身の性格だとか、あまり確信がないことについてはなかなか話すことはありません。
そんな中での私の言葉。
「自分自身では、打てば響くと思っているが、打たれることはあまりないし、自分が打つこともしていない。」
やぶちゃんは聞き逃しません。
「打ってみて、と言っている。」
ここから、やぶちゃんはどこを打てば一番響くのか探し始めました。
いや、もっと前からいろいろなところにアンテナを張り巡らせていたのでしょうが。
別に、殺気立っていたりしているわけではないのです。
しかし、やぶちゃんと視線があうと自然と目をそらしてしまいます。
茨木駅。
やぶちゃんは言います。(多少、美化してあります。というより、正確には覚えていません…。)
「新大阪駅まであと一駅。それまでの命。そこで永遠の別れ。どうする?」
「死」については、あまり考えたことはありません。
「死んでもいいかな」と軽い気持ちで考えたことはありますが、ここでも本気になりきれず生きています。(いいことだ!)
特に深い考えもないまま、「胡蝶の夢」の話をしました。
やぶちゃんは、おもむろに「打ってみるよ」。そして、
「武士道」
少し、きょとんとしましたが、私は「はぁ」と気の抜けたような安心したような息を漏らしました。
「武士道ですか。」
なるほど、言われてみれば、いろいろと当てはまるかもしれない。
もちろん私は武士ではなく、武士道のなんたるかも知らないわけですが、「武士道とは何ぞや」を求めて実践したいと思っていたような気がしてきました。
否定することは、何ひとつ思い浮かびません。
そして、自分の武士道に反する(と思っている)自分の行動に何となく違和感を感じていたのだとも思いました。
「武士道」という言葉は、今まで目にしたことも耳にしたこともあり、引っ掛かりはするのですが、中心に位置するとは思っていませんでした。
今までの言動が、「武士道」という言葉に収斂していく感じです。
そして、今までの(漠然とした)自己分析は、その「武士道」を中心とした周りをグルグルとまわっています。
私の話は回りくどいと言われることがあります。
自己分析も回りくどかった(笑)
「武士道」という言葉に納得感があります。
しかし、「武士道」か…。
古臭くもありますが、否定できない。
そして、極めてみたい。
終りのない道かとは思いますが、この道を歩んでいきたいと思いました。
そして、やぶちゃんがすごいと思うのと同じく、常ちゃんがいてくれたことも大きいと思いました。
たぶん、常ちゃんがいなければ、この言葉はなかったと思います。
そして、その前の心徒塾も。
やぶちゃんは言います。
「どんなことにも意味がある。何が起きてもそれは必然的に起きたもの。そこにこうして起きることは、必ず何かしらの意味がある。」
私は今まで、起きることは「全て必然」か「全て偶然」かのどちらか、と思っていましたが、「全て必然」に傾きました。
今まで起きたことすべてに「感謝」です。