「聞き方に型がない」
「(聞き方の)パターンを覚えようと思ったらすべる」
『五輪書』に、「型(パターン)」ではありませんが、「構え」のことについての記述がありました。
一、有構無構のをしへの事
有構無構といふは、太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共、五方に置く事あれば、かまへともなるべし。太刀は、敵の縁により、所により、けいきにしたがひ、何れの方に置きたりとも、其敵きりよきやうに持つ心也。上段も時に随ひ、少しさがる心なれば中段となり、中段を利により少しあぐれば上段となる。下段もをりにふれ、少しあぐれば中段となる。両脇の構も、くらゐにより少し中へ出せば、中段・下段共なる心也。然るによって、構はありて構はなきといふ利也。先づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さはるなどいふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。うくると思ひ、はると思ひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さはるとおもふによつて、きる事不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。兵法大きにして、人数だてといふも構也。みな合戦に勝つ縁なり。ゐつくといふ事悪しし。能々工夫すべし。
「構えがあって構えがない」ということを「有構無構(うこうむこう)」として、「太刀を構えるということはあるべきではない」といいます。
結果的には構えがあるということができるのかもしれませんが、それはただ敵を斬るため。
敵の出方や場所、状況に応じて、敵を斬るためにどうするのか?
太刀を受けるとき、打ちあたるとき、どうしたら敵を斬ることができるのか?
構えは手段であって、目的ではない。
ただ聞くだけなら型があってもいいかもしれませんが、もっと深いところを聞く。
「いのちといのちのぶつかり合い」
ヤブログ放送室の中でもあった言葉。
私はまだまだ「真剣勝負」に挑んでいない、と感じました。
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