その回答のひとつが以下の言葉です。
子曰く、君子重からざれば、則ち威あらず。
学びても則ち固ならず。
忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。
過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。
「君子」は、「重くなければ威はない」「学んでも固くならない」。
さて、どんなことをいっているのか?
訳語をもとにしてはいますが、以下、私なりの解釈です。
残念ながら、論語の時代での漢語(漢字、言葉)の意味はわかりません…。なので、現代日本語として解釈してみます。
まず「重い」というのは単純に「軽い」の反対語と考えるとわかりやすいかもしれません。「威」というのは「威厳」の「威」と考えると、「重くなければ威厳はない」つまり「軽かったら威厳はない」。なんとなくわかる気がします。
日本語でも「軽い人」という言い方があります。なんとなくフラフラとしている印象です。ならば「重い人」というのは、どっしりと構えて、自分軸をしっかり持っているような人を指すのではないでしょうか。芯があるような人は威厳もあります。「重厚」という言葉の「重い」ですね。
そして、「学んでも固くならない」。知識を身につけても頑固ではない。人の意見や反対意見、そういったものに耳を貸さなくなりはしない。他人の声にも耳を傾ける。
つまり、「君子」というのは、しっかりとした信念を持ち、柔軟性も併せ持つような人ではないか、と想像します。
そう考えると、その後の言葉がわかってきます。
「己に如かざる者を友とする無かれ」というのは、単純に訳すと「自分より劣っている人を友人にするな」となります。しかし、その前に「忠信を主とし」という言葉があるので、「『忠』と『信』を自分の中心としなさい。」「『忠』や『信』が少ない人を友人にしないようにしなさい。」と言っているのではないか、と思います。そして「自分が間違えていたら、頑固にならず自分を改めなさい。」と。
「重からざれば則ち威あらず」の補足として「忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ」、「学びても則ち固ならず」の補足として「過ちては則ち改むるに憚る勿れ」と孔子は言っているのではないかと思うのです。
『忠』と『信』を軸とし、自分に正直なひと。それが「君子」だと思います。
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