私は、いたずら系の受け答えが好きな傾向があるようです。
オペレーターさんから「処理を確認してほしいんですけど…」などと声をかけられます。
そんなとき、「『けど…』、何?」と笑って返すことがあります。
すると、そのオペレーターさんは、「えっと…」と言葉に詰まります。
そして沈黙…。
お客様を待たせてしまうのも何なので、助け舟を出します。
「『けど…』の後に続く言葉は何?」
もちろん、言いたいことは予想がつきます。
「処理を確認してほしいんですけど、見てもらえますか?」とか、「処理を確認してほしいんですけど、今お時間ありますか?」とか。
しかし、省略されているところを、何とか言語化してもらおうと試みます。
理由のひとつは、オペレーションの中で、途中止めをなるべくしないように指導しているからです。
そしてもうひとつの理由は、自分自身が相手の話を最後まで聞いてみようと思っているからです。
日本語に特有なのかどうかはわかりませんが、曖昧なまま話が進むことがよくあります。
残念なことではありますが、お客様とのやりとりの中でもしばしば。
で、自分自身の会話でもしばしば。
現に今も、「しばしば。」と止めてしまっています(笑)
自分自身、言葉を探すことがよくあります。
何と言ったらいいのかわからないとき、あるいは言葉として出したものの何だかしっくりとこないときは多々あります。
自分自身が求めていることを、他の人に求めてしまうのかもしれません。
とすると、自分自身が何を求めているのかは、他の人に何を求めているのかを知ることかもしれません。
途中止めの会話を止めてほしいと思っていても時と場合によりけりで、「お客様が『電話を代われ』とおっしゃっているんですけど…」と言われたら、さすがに「『けど…』、何?」などと尋ねることはしませんし、上司から「○○について確認したいんだけど…」と言われて、「『けど…』、何でしょうか?」と受け答えすることはありません。
「鏡の法則」というのは、こういうことをいうのかもしれませんね。
(『鏡の法則』という本があったと思いますが、未読です…。)
ということは、冒頭のやりとりから鑑みると、私はいじってもらいたいのか…。
話は変わって、「自分がされて嫌なことは他人にはしない」ということはよく言われます。
しかし、「自分がされてうれしいことを他人にする」というのはあまり聞きません。
なぜでしょうね?
肯定的な表現よりも否定的な表現の方が言語化しやすいのかもしれません。
そうすると、私が「言葉を探している」というとき、肯定的な表現を求めているのかもしれません。
と、ポジティブシンキング♪
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