国立天文台のHPによると、
日本の陸地に限ると、金環日食が観察できるのは、1987年9月23日に沖縄本島などで見られた金環日食以来のことです。次回も2030年6月1日に北海道で見られる金環日食まで、18年間起こりません。とのこと。
珍しい現象ではあります。
私はというと、見れたらラッキー、くらいにしか思っていなかったので、朝起きて太陽を見てみましたが、曇っていて見えず。
根気よく待っていれば見れたのかもしれませんが。
言うまでもなく、金環日食は日食の現象のひとつを指すもので、太陽を隠す月よりも太陽が大きく(大きく見え)なければなりません。
太陽を全て隠してしまう日食を皆既日食と言います。
一部を隠す場合は部分日食。
日食で思い出す話は、日本神話の天照大御神の天岩戸に隠れてしまったという話です。
Wikipedia「日食」の項では、
天照大御神の天の岩戸の神話は日食を表しているとの見方がある。現在のところ過去の特定の日食現象には同定されていない。計算上は、邪馬台国の時期に日本列島で日食が2回起きた可能性がある。卑弥呼が死んだとされる247年と248年である。国立天文台の谷川清隆・相馬充らは、「特定された日食は『日本書紀』推古天皇36年3月2日(628年4月10日)が最古であり、それより以前は途中の文献がないため地球の自転速度低下により特定できない」としている。とあり、必ずしも日食の話とは断定できないようですが、私はこの話は日食を元につくられたのではないかと思っています。
部分日食や金環日食ではなく、皆既日食として。
皆既日食で太陽の光が届かない中、しばらくすると日食が明け、徐々に光が指し込んでくる。
天岩戸から天照がそっと外をのぞきこむ。
そんなイメージが重なっています。
古代の人々はイメージ豊かですね。
今回の金環日食でも、神話までとはいかないまでも、どこかで素敵な物語がつくられているのではないかと、と思いを馳せています。
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