「観察」という言葉を聞くと、シャーロック・ホームズを思い出します。ホームズとワトソンが「見る(see)」と「観察する(observe)」について話をしているからです。(引用は Camden House より)
… “You see, but you do not observe. The distinction is clear. For example, you have frequently seen the steps which lead up from the hall to this room.”
“Frequently.”
“How often?”
“Well, some hundreds of times.”
“Then how many are there?”
“How many? I don’t know.”
“Quite so! You have not observed. And yet you have seen.
-- A Scandal in Bohemia
ホームズはワトソンに、「見ているけれど観察していない」と言います。その例としてホームズはワトソンに問いかけます。(以下、意訳)
「キミはこの部屋に上がる階段を何度も見てるよね?」
「何度も見てるね」
「何回くらい見ている?」
「そうだね、数百回は見てるんじゃないかな?」
「何段ある?」
「何段? 知らないよ」
「そこだよ! 見てはいるけど、観察していないんだ」
あるいは、小宮一慶『ビジネスマンのための「発見力」養成講座(ディスカヴァ―携書)には、セブンイレブンのロゴの話が載っています。
ところで、セブン‐イレブンのロゴが「7-ELEVEn」と、最後が n で、小文字なのをご存じでしたか?
「観察力」「発見力」の話を聞くと、「目の付けどころが違う」と思ってしまいます。視点が違うのです。
では、このような異なる視点を持つにはどうしたらいいのか? ホームズや小宮さんの例は、階段やロゴというモノが対象でしたが、人間の「行動観察」ができるようになるにはどうすればいいか?
松波さんは、「大きく2つ重要なことがあります」と言います。
ひとつは「自分の価値観から自由になること」。もうひとつは「人間についての知見を持つこと」。
どちらも、自分一人では気付きにくいことです。
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