注文をすませ、食事がくるまで本を読もうと『無関門を読む』のページをめくると、「照顧脚下」という文字がありました。
禅の道場の玄関の札に「照顧脚下」と書かれているとのこと。「脚下を照らして顧みよ」つまりは「履物をきちんとそろえて上がれ」ということになります。
そのあとに、次の言葉が続きます。
それはいちおうそれでよいのですが、「照顧脚下」はただそれだけのことではありません。この部分を読んで、ちょっと試してみようと思いました。
摂心(集中坐禅会)に参加した始めは「たくあんをかむ音をたてるな」と先輩に怒られるので、たいていの人がかまずに飲み込んでしまいます。しかし、「脚下を照顧せよ」というのも、「たくあんの音をたてるな」というのも、禅では単なるお作法の教えではありません。それはまず第一に、ともすれば外に飛びがちの私どもの心を内に摂める、そこで自己にとって返すという大切な修行の用心を示す教えの一つなのです。
これからくる食事を食べるとき、なるべく音を出さずに食べてみよう、と。
ちょうど、注文した料理が運ばれてきました。注文したのは「青椒肉絲定食」です。
たくあんほどは音が出ませんが、ピーマン・たけのこも噛めば音がなります。かといって、噛まずに飲み込むわけにもいかず、ゆっくりと力を入れながら音をなるべくたてないように噛んでいきます。
音を出さずに噛むのは難しい。
ゆっくり徐々に力を入れながら噛み、また徐々に力を入れながら噛み、と何度か繰り返して、飲み込めそうになったら飲み込みます。
自然と口の中に意識が集中します。箸いっぱいにとって食べることはせず、少量をつまんで口の中に入れます。ゆっくりと何度も噛むことで食べ物の味がいつもよりもわかったような気がしました。
思えば、私は食事には結構無関心で、お腹が膨れれば何でもいい、といった感じで食事をとっています。食事をファストフードですませることもよくあります。しかも毎日のように行って、同じものを食べることもしばしば。ちょっと反省しつつ、ゆっくりと食べました。
数年前、「スローフード」という言葉が流行ったときがありましたが、なかなかいいものですね。
ゆっくりと味わいながら食べる。
「音をたてないように食べる」ことは、礼儀作法のひとつなのかもしれませんが、食事をありがたく味わいつつ食べることができるという優れた点があることに今さらながら気が付きました。
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