2011/08/20

市越池の「海津見神社」

前回記事の続き)

実家近くにある「鬼北総合公園」。

そしてそこにある「市越池」。

写真は市越池を反対側から撮った写真。

さて、この市越池の中心あたりに、「竜王様」と呼んでいる神社があります。

ちょうど吊橋を渡ったところです。(写真は竜王様側から見た吊橋)

この「竜王様」、正式名称は「海津見神社」ということがわかりました。

今回は「海津見神社」について。



「海津見神社」、読み方は「ワタツミ」神社のようです。

「ワタツミ」といえば、記紀(古事記・日本書紀)にも名前が出ていたような記憶があります。海の神様です。

海津見神社の石碑の左側には、祭神の名前がありました。

「底津和田津見命」「豊玉姫命」の2神。「ソコツワタツミノミコト」と「トヨタマヒメノミコト」ですかね。

「ワタツミ」は「綿津見」という表記もあるようですが、とりあえずここでは「底津和田津見命」「豊玉姫命」で統一します。

さて、Wikipediaには「トヨタマヒメ」の項目はありましたが、「ソコツワタツミ」の項目がありませんでした。(「ワタツミ」の項目はありました。)

この2神の関係や物語を知りたかったのですが、もう少し調査が必要です。

(やはり『記紀』は読んだ方がいいですかね・・・。)

この2神のことは、また今度として、今度は石碑の右側を見てみます。

明治7年6月15日土佐四万川
海津見神社の御分神を勧請奉祀
と読めそうです。

(注)漢字が違うかもしれません。特に「御分神」の「分」と、「奉祀」の「祀」。後者の「祀」の部分については、「しめすへん(ネ)におのれ(己)」の漢字ですが、PCでは出てこなかったので、一番近い漢字を入力しました。)

明治7年6月15日に土佐四万川の海津見神社の分神(ここでは「底津和田津見命」「豊玉姫命」の2神)を場所を移して奉っている、という意味ではないかと思われます。

ということは、高知県の四万川(「四万十川」とは違うのかな)にも「海津見神社」があるものと思われます。

「海津見神社 四万川」でWEB検索したところ・・・、

田舎不動産屋の徒然草「四万川 竜王神社(海津見神社)」

おおっ、「竜王神社」「竜王さま」という名前が!

他サイトでも確認したところ、どうやら高知県の梼原(ゆすはら)町茶や谷には竜王宮と呼ばれる海津見神社があるとのこと。

そしてさらに「竜王宮春の大祭 牛鬼」。

高知 四万十川 祭り&イベント写真「竜王宮春の大祭 牛鬼」

この開催時期が、上記サイトでは「2007.4.29(祝日固定開催)」。

市越池で毎年開催される祭り、「竜王様のお祭り(正式名称知りません…)」も4月29日に行われます。(子どもの頃は平日に行われていましたが、今では祝日に開催されていることも同じです。)

ただし、私の実家の地域では、牛鬼祭りは秋に開催されます。

牛鬼と竜王は別ですかね。。。

そして、こちらのサイト(雲の上のまち梼原町 きじ生産組合「海津見神社」)によると、市越池の「海津見神社」の祭神は「底津和田津見命」「豊玉姫命」の2神ですが、梼原の「海津見神社」の祭神は「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ、かな)」「豊玉姫命」の2神で、片方が違っています。

う~ん。。。


話は変わって、市越池も、高知の梼原も、どちらかといえば「山」です。

池の近くではありますが、海の神様が祀られていることはちょっと不思議です。

そこで見つけたこのサイト。
愛媛県生涯学習センター
「「えひめの記憶」 - [『ふるさと愛媛学』調査報告書]」
県境山間部の生活文化(平成5年度)
(2)県境を越えた交流③

上記サイト内の「(エ)山と海の関わり一竜王神社の信仰」の項に以下の記述がありました。
檮原町四万川の竜王神社は、豊漁、雨乞いに霊験あらたかな神として、高知県・愛媛県各地から、現在も多くの信者を集めている。神社鎮座の縁起として、以下のことが棟札(むなふだ)と口碑に伝えられている。「中の川の『峯(山頂)古池』の水上にしばしば不思議の霊象が現われ、里人は神秘の事象として、安永5年(1776年)に池の神として祀る。その後大風雨起こり古池決壊し、大洪水となり山林田畑を押し流し、それより度々奇限な事変が起こった。巫女をもって神意を問えば、無信心の輩が池を冒涜(ぼうとく)したことによるものとし、さらに『われは、この池を去り、人跡まれなる大野が原小松が池に身を隠すべし。されど、われを祀らば、神鎮まり諸々の幸福を与うべし』とのことで、寛政6年(1794年)蛇王権現として社殿を建立したとされる。((28))その後現在地の壁路(へきろ)山城(中世の城郭があった)に遷宮し、竜王大権現(だいごんげん)(明治初年の神仏分離令で海津見(わだつみ)神社に改称し、豊玉姫(とよたまひめ)を祭神とする)として、四万川地区の総鎮守として杞(まつ)るようになった。」(⑬⑮)

(注)引用内での番号は、上記サイト内での参考文献を表しています。

大雨などによる古池の決壊などの天変地異が起こったことは、池を冒涜したことが原因で、それを収めるために祀られた。

なるほど、竜というよりは蛇のようです。

また、宇和島などとも交流があったようですね。


地元と高知の関係や、牛鬼の起源も含め、興味がわいてきました。


ちなみに、市越池の海津見神社は、小さくさびれています・・・。

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