2020/05/02

至高作語

柳瀬尚紀さんの『辞書はジョイスフル』の「まえがき」に、つぎの文章がある。
 しかしともかくこんなふうに、年がら年中、辞書のなかをさまよいながら、血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き、殺め好き、諱付き、鉈ばた突き、怖の色づき、切っ裂き好き、泣き伏し暮れつき、首刎ね好き、嚇し忘れず……。
 ありゃりゃりゃ、なんじゃ、これ!?
 わかりました。『フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ』の訳語が飛び込んできたのです。
 順に、かすみそめつき(霞初月)、きさらぎ(如月)、やよひ(弥生)、うづき(卯月)、あやめづき(菖蒲月)、とこなつづき(常夏月)、たなばたづき(七夕月)、そのいろつき(其色月)、きくさきづき(菊開月)、しぐれづき(時雨月)、ねづき(子月)、しはす(師走)のジョイス語ヤナセ語変装。
 なにしろ上のような訳語をつくるために七年半、年がら年中、辞書のなかをさまよっていたのだから、どうやら本書は、『フィネガンズ・ウェイク』翻訳作業と辞書のことから書き始めるのがよさそうだ。
ヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』は読んだ(「読んだ」といっても字面を追った程度)が、『フィネガンズ・ウェイク』の原文は読んだことがなく、《血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き…》の原文はどんなものだろうと思っていたら、『辞書はジョイスフル』の別の箇所に記載されていた。
 今度は、『フィネガンズ・ウェイク』から、やさしい原文を引こう。こういうふうに形容詞が並ぶところがある。
bloody gloomy hideous fearful furious alarming terrible mournful sorrowful frightful appalling
 なんのことはない、まともな英語が十一個。数十か国語どころか、大学受験生程度の英語のボキャブラリーがあれば、読むことは読める。
 順に、血まみれの、陰鬱な、見るもぞっとする、怖い、怒り狂った、ぎくりとさせる、おっそろしい、哀悼の、悲痛の、おっかない、度肝を抜くような。
 ところが、これもまた、このまっとうな英語もまた、ジョイス語のひとつの姿なのである。
 つぎの英語を見ていただく。
bloody gloomy hideous fearful furious alarming terrible horrible mournful sorrowful frightful appalling
 これは、かのクークラックスクラン、3K団が、順に、一月、二月、三月……につける形容詞だ。
 ジョイスの原文にはhorribleがないが、しかしここで故意に十一個にする理由は考えられず、おそらくはジョイスの書き落としと思われる。
 つまり、ジョイスの《bloody gloomy hideous fearful…》という原文の裏には、January February March April…が、ひびいているわけだ。
《bloody gloomy hideous fearful…》をふつうに訳すと「血まみれの、陰鬱な、見るもぞっとする、怖い…」となるのだが、「January February March April…が、ひびいている」ので、柳瀬は《血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き…》と訳したということである。よくもまあこんなところまで考えるなあと、いい意味で感心する。

しかし「ジョイスの原文にはhorribleがないが、しかしここで故意に十一個にする理由は考えられず、おそらくはジョイスの書き落としと思われる」というのはどうだろうか。『辞書はジョイスフル』にはジョイスの徹底ぶりを示すエピソードも書かれていて、そんなジョイスが書き落としをするだろうか、という疑問が浮かぶ。ひょっとすると故意に11個にしたのではないか、と。

ジョイスの原文にないのは、8月の形容詞にあたるhorribleで、ヤナセ語訳でいえば「怖の色づき」である。もしジョイスが故意にhorribleを抜いて11個の形容詞を並べたとすれば、どのような理由が考えられるだろうか。

ヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』で該当の箇所の一文を探す。『辞書はジョイスフル』の「まえがき」で、『フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ』のなかにあることがわかるので、比較的探しやすかった。該当する文は以下の文である。ヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』は総ルビであるが、以下の引用ではルビは省略している(このブログの冒頭の『辞書はジョイスフル』の引用でもルビを省略している)。
七魘が去った、暗陰鬱殪毆悍釁、もはや十二憑きはない、血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き、殺め好き、諱付き、鉈ばた突き、怖の色づき、切っ裂き好き、泣き伏し暮れつき、首刎ね好き、嚇し忘れず。
「七魘」には「しちよう」とルビがふってある。ここでの「魘」の漢字は小さくて見にくいだろうが、「厭」の下に「鬼」と書いた漢字で、「おさえつけられた感じで、うなされる。恐ろしい夢を見ておびえる」という意味の漢字である。「七魘」はそのルビから「七曜」を思い起こさせ、つぎの「暗陰鬱殪毆悍釁」には、「月火水木金土日」のひびきが感じられる。「暗陰鬱殪毆悍釁」には「あんいんうつえいおうかんきん」とルビが打たれており、各漢字の第1音を並べると「あいうえおかき」となるような、そして7つの「魘」となるような漢字を選んだのであろう。同様に「十二憑き」は「十二月」で、「血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き…」と続いている。

私の一人勝手な解釈だが、暗陰鬱殪毆悍釁という七魘が去った、もはや血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き…という十二憑きはない、ということで、曜日が去り、もはや月日もないとも読めるので、日月などの時間概念がない《永遠》が現れたという読みも可能ではないだろうか。とすると、horribleがないということは、パンドラの匣ではないが、《永遠》のなかにhorribleが残っているのではないか。horribleはヤナセ語訳では「怖の色づき」だが、「畏怖の念」という意味もあるだろう。《永遠》の千年王国にも「畏怖の念」はあるだろう。

もし「畏怖の念」を表すために「年」から抜いたとしたら、if……と、よくもまあこんなことを考えるなあ、と自分に呆れる。

と、こんな誤訳をしながら、ヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』を読んでいる。

さきほどヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ』から一文を引用したが、その一文には(もちろん)続きがある。
平和、まったき平和。

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