今回もさのともが自由に語ります!
さて、今回はいわちゃんからお題がきております。
お題は「壁打ちの型」
では、いわちゃん、どうぞ!!
先日の黒帯高知で「壁打ちの型」が編み出されています。
あさこさんの美しい型の動画をやぶちゃんから見せていただきました。
これをわたふがやると超高速になるし、まっちゃんいわちゃんで速さ重さを競ったりして楽しいです。
本題ですが、壁打ちの型をすることは何をすることになるのでしょうか?
型が表しているのは何なのでしょうか?
さすが、いわちゃん、いい質問をしますね~。
いつものさのともならば、「型がなかったら形無しになるからです」と答えるところですが、ここは丁寧にいきましょう。
壁打ちの型だけでなく、他の事柄でもそうですが、型を学び繰り返し実践することは、意識せずとも身体が動くように身体に覚え込ませることだと思っています。
考える前に動く、考えなくとも動ける。
言葉としての印象は良くありませんが、「自動化」「機械化」が型の効用です。
壁打ちの型であれば、AさんからBさんへの切り替えのタイミングやスピードなどを身体に覚えさせる。
この「わもんな言葉」でも何度か挙げたことがありますが、「無意識の有能」を目指していると思っております。
壁打ちをしていると、ふと我に返ったり、あるいはお披露目の場では緊張したり、様々な予期せぬことも起こり得ます。
そんなときに身体がさっと動く、固まったり、止まったりすることなく次の一歩が出ている。
型はそのためにあるのではないか、と考えています。
なので、型は基本。
ただし、型は万能ではありません。
私の好きな考え方のひとつに「有構無構の教え」というのがあります。
宮本武蔵の『五輪書』に書かれていたことです。
有構無構というのは、構えがあって構えがない、ということです。
『五輪書』にはいくつか構えについても述べていますが、敵の出方やその場所、状況にしたがって敵を斬りやすいように刀を持つことが重要だとしています。
形にはめて構えるのではなく、敵を斬るための太刀の位置が構えとなる。
構えというのはあってないようなものだ、ということです。
壁打ちの型は、今までの壁打ちの経験などからできたもの。
私の立ち位置といわちゃんの立ち位置で、心構えも違ってくると思います。
五輪書 (講談社学術文庫)
聞けば叶う〜わもん入門
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