昔者、荘周、夢に胡蝶と為る。荘子(荘周)が蝶になった夢の話だが、荘子が蝶になった夢を見ているのか、それとも蝶が荘周となった夢を見ているのか、という話である。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩みて志に適うか、周なることを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。
この蝶々の羽ばたきでバタフライ効果が起きないかと、まあしょうもないことを考えたのだが、ふと思い出してブログを検索してみると以前にも同じことを考えていたようだ(参照:胡蝶効果)。
相変わらずしょうもないことを考えているなあと、我ながら思う。
ただ今回書こうとしたことは、以前より少し成長したと見え、もう1歩だけ話が進む。
ギリシア神話で、プシュケーの話があったなあ、と。
エロースとプシュケーの話で有名だが、古代ギリシア語ではプシュケーは「魂」という意味があり、また「蝶」という意味もある。
魂が羽ばたいたら、バタフライ効果が期待できそうだなあ、と。
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