2020/05/10

柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀』

ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の訳者である柳瀬尚紀さんの本『フィネガン辛航紀』が届いた。

最初に驚いた、というか自分の間違いに気づいたのは、書名が違っていたことだ。「辛航紀」は「しんこうき」と読む。僕はずっと「こうこうき」と読んでいた。「辛」ではなく「幸」という漢字で覚えていたのだ。ジョイスだけに「joy」とかけて、そして「航行」とかけて、「幸航紀」としたのだと思っていた。一つ違えば「幸」は「辛」となり、「辛」は「幸」となることを実感した。

文庫版『フィネガンズ・ウェイクⅠ』に大江健三郎さんの序文があり、そこで「『フィネガンズ・ウェイク』について書かれた最良というより唯一の本だと思う『フィネガン辛航紀』」という文章があった。そのため『フィネガン辛航紀』は読みたい本のひとつとなっていた。それにもかかわらず本のタイトルを間違えて覚えている。いい加減な読みをしている証拠を突きつけられて辛い。

正しい書名は『フィネガン辛航紀』ではあるが、中身を読むとたしかに『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳に四苦八苦している話は多いのだが、辛そうには見えない。むしろ幸せそうである。なんで「辛航紀」なんだろうと思った。

『フィネガン辛航紀』には「『フィネガンズ・ウェイク』を読むための本」という副題がついている。そしてよく見るとその副題の下に英語が書かれていた。「Finnegans Wake, Translation in Progress」と。進行中の翻訳、つまり「辛航」は「進行」であった。奥付をみると、刊行は1992年8月。柳瀬さんが『フィネガンズ・ウェイク』を全訳されたのは1993年であるので、翻訳進行中に刊行されたものであった。ちなみにジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』は途中雑誌に掲載されたことがあり、そこでのタイトルが「Work in Progress」である。

自分の勝手な想像であるが、翻訳完了後にその舞台裏の一端をみせてくれる本だと思っていたので、またもや「やられた」と思う。とはいっても柳瀬さんが意図してやっているわけではない。とはいっても予想を上回る内容である。

『フィネガンズ・ウェイク』は迷宮にたとえられる。迷宮にはアリアドネの糸があったほうがいい。柳瀬さんの翻訳の意図を頼りに、また迷宮探索をしてみたくなる。柳瀬さんが捜索して創作した跡をたどるだけでもおもしろい。一筋縄ではいかない可能性はあるけれども。また、深入りすると辛くなるかもしれないけれど。

まあそんなときには「幸開記」とでもして何かブログで公開してもおもしろいかもしれない。

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