2011/09/14

心徒塾に参加して―場を整えること

先日、「わもん」の黒帯を目指す道場である「心徒塾」に参加しました。

「わもん」というのは、いわば「和製コーチング」。ただひたすら相手の話を聴くことで、 問題解決の糸口を導き出していきます。話し手に対して「絶対尊敬」を贈り、聞き手が「完全沈黙」して話を聞くとき、話し手の心の奥底にある「声なき声」が聞こえてくる。無意識下にある思いが意識にあがってくる。そういったコミュニケーションの在り方、それが「わもん」です。

「コーチング」との比較でいうと、「コーチング」は「コミュニケーションの方法」、「わもん」は「コミュニケーションの在り方」という表現が私にはしっくりきます。

「心徒塾」は、その「わもん」の黒帯(達人)を目指すところです。「わもん」のことを頭だけで知っているだけで、実際にそのような聞き方ができているのかどうかもわからない私ですが、いきなり「聴くことを究める場」に参加しました。

実際、コールセンターに勤めている関係で、話を聞くことに自信がないわけでもありません。しかし、本当に聞くことができているのだろうか、という問いに自信を持って答えることはできません。「上には上がいるだろう」。「上はどんなものか知ってみたい、体感してみたい」。そんな思いで参加しました。ちょうど長めの休みをいただいたので、1日7時間の2日間の参加です。

まず、すごいなと思ったことは、「場づくり」です。

私は初参加。参加者の誰とも面識はありません。心徒塾の参加者は、当然のことながら「わもん」を実践されている方々で、「わもん」の達人を目指す場ということは、お互いに面識がある。(実際には私のほかに心徒塾初参加の方もいらっしゃいましたが、心徒塾の主催者である藪原秀樹さん(やぶちゃん)とは面識があるようでした。)そして心徒塾の参加人数は最大8人。互いに面識のある少人数の集団の中に、見知らぬ私が飛び込んでくるわけです。

私としては、場に溶け込めるかどうか、不安でした。完全にアウェーの状況です。

初めての場所。初めての人。初めての「わもん」。

落ち着きませんでした。

しかし、その不安は次第に消え去っていきました。

この状態を、心徒塾では「場が整う」と表現していましたが、確かに「場が整った」と思いました。


その「場が整う」ための手法はどんなものだったのか、といま思い返してみると、やぶちゃんの働きが大きかったと思います。

例えば、私の紹介。

やぶちゃんは私と面識がなく、私の方はやぶちゃんのことをツイッター上やHP上で知ってはいましたが、やぶちゃんは私のことをほとんど知りません。塾の開催場所に一番乗りだったのですが、そこで、「どこかでお会いしましたか?」「誰かの紹介ですか?」等、様々な質問を投げかけてきます。私はそれに答えるかたちで、わもんややぶちゃんのこと知ったきっかけを話します。また、いきなり心徒塾に参加したことも切り口のひとつとなり、参加の理由など、実にいろいろな質問を投げかけてくるのです。

実際にどういう意図があったのかはわかりませんが、私に関する情報を集めていたのだと思います。

そしてそれらの情報を上手く使って、他の方々に私を紹介してくれました。1度だけでなく、参加者が来る度に同じ話になることもありましたが、新しく来る度に何度も紹介してくれました。

おそらくは、私の不安を感じとり、私の不安を少しでも取り除いていくために、少しでも早く場に溶け込めるように、といったはからいであったと思います。

また、他の方々にも、私というちょっとした異分子を溶け込ませるためのことであったと思います。


「場づくり」「場を整える」ためには、情報の共有が不可欠です。会議であっても何であっても、人が集まり話をするときは、共通の目的やそれぞれの参加者の情報など、共有化しているものが必要です。前提があって話は進んでいきます。見知らぬ人の前では、なかなか本来の自分を出せません。

場の整え方の一例を感じることができました。

「わもん」について―株式会社わもん