このゴールデンウィーク期間中は、特に予定がなかったこともあり、読書三昧。積読をしていた本を1冊は読もうと思っていたのですが、手にした本が悪かった(別に悪い本という意味ではないです。はい)。
読み始めた本は、百川敬仁(著)『夢野久作 方法としての異界』。
なぜこの本を手にしたのか、といえば、読書の時間としては結構時間があるので、夢野久作さんの『ドグラ・マグラ』も合わせて読もうと思ったからです。
まずは『ドグラ・マグラ』、そして『方法としての異界』。
『方法としての異界』を読み進むにつれ、私にはついていけないところがたくさんあるな、と感じました。
大きな理由は、夢野久作さんのことをあまり知らないから。夢野久作さんの作品は、『ドグラ・マグラ』と『あやかしの鼓』しか読んだことはありません。そして、もうひとつは、百川敬仁さんの「異界論」も全く知らないから。
じゃあ、なんでそんな本を買ったのか? う~ん、買ったのは5年くらい前のような気がします…。もっと前かも。
まあ、それでも読み進めることはできるので、まとまった時間があるし、読んでみよう、と読み始めました。
百川さんは、『ドグラ・マグラ』の主題を、「日本人の本来性の問題」と「父と子の問題」ではないか、と述べています。
まだ、理解できていないところもあり、私はまだ、このような主題が『ドグラ・マグラ』にあったのか、という段階。
というのも、私は『ドグラ・マグラ』を「入れ子構造を利用した自分探しの探偵小説」として読んでいたからです。百川さんの主題ともつながっていないわけではありませんので、よし、としていますが、読みが甘いなと思いました。
ところで、その主題や何やらを検証するにあたり、『ドグラ・マグラ』以外のことが複数述べられています。夢野久作さんと父親との関係、夢野久作さんの他の作品(主に『白髪小僧』)、村上春樹さんの作品(村上春樹さんの小説は一冊も読んだことなし…)、そして書かれたときの日本の状況や、夢野久作さんの能楽論など…。
文学研究とすれば、当たり前なのかもしれませんが、文学の素養がない私にとっては(文学部でしたが…)、骨の折れる読書となりました…。
百川さんの『方法としての異界』について、まだ読み切れていないところが多々あり、あれこれ述べることはできませんが、そのなかに「胡蝶の夢」についての言及がありました。「胡蝶の夢」の話は、私の好きな話のひとつです。
そこで、はたと気づきました。
荘子の思想について、全く知らないことを。
「胡蝶の夢」は『荘子』に出てくる話ということは知っていたのですが、『荘子』の他の話を知りません。(知っているのかもしれませんが、それが『荘子』の話なのかどうかというのがわからない、と言った方が正確かもしれません。)
同時に「老荘思想」と呼ばれるものが、どんな思想なのかもわからないことに気づきました。
まあ、老荘思想だけでなく、思想や哲学の話はあまり知らないです…。
別に、文学研究をしていきたいわけではないですが、ちょっと思想系・哲学系の本も読んでみようという気になりました。
まずは、老荘思想について、です。
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