わもんとは、漢字で書くと「話聞」、「話す」と「聞く」です。
わもんの本のタイトルが『聞けば叶う』なので、聞く方に重点が置かれているようにも見えますが、話す方も忘れてはいません。
「聞けば叶う」の対として、「言えば叶う」といいます。
目標や願望、夢などを口にしたり、言葉にして書き留めておいたりすると叶いやすくなるというのは、よく言われています。
なぜ、言葉にすると、目標や願望や夢がかなうのでしょうか。
ひとつの理由として、私は、目標や願望や夢という形ないものに形を与えるからだ、と思っています。
言語化するということは、具体化することです。
言葉は、良くも悪くも、形を与えます。
枠を作ります。
器です。
入れ物です。
なので、中身を見えなくしてしまうこともあります。
表面的な「聞く」は、パッケージを見ているだけで中身を見ていないことだ、とも言えます。
しかし、うまく使えば、散らばっているものをまとめることができます。
そのままでは拡散する気体も閉じ込めておくことができます。
有耶無耶になりそうな形ないものに形を与えてくれます。
言葉は、思考や感情、イメージなどに形を与え、見えるようにしてくれます。
他の人に届けることができます。
わもんでの話し方・聞き方は、私にとっては、話し手と聞き手が「一緒に開けてみようか」と言葉という入れ物を開けているようなイメージです。
急に例えが身近になってしまいますが、お菓子を一緒に食べようと袋を開けるようなもの。
話し手がお菓子の袋を出したとき、聞き手は、そのままもらって一人で食べることもできますし、もらわないで返すこともできます。
なぜ話し手がお菓子の袋を取り出したかといえば、ひょっとすると話し手が聞き手の前で自慢げに食べて優越感を味わいたかったのかもしれませんし、話し手はいらないけれども、聞き手が欲しそうだったから取り出したのかもしれませんが、おそらくは一緒に食べたいから取り出したのではないかと思います。
とすると、話し手が食べてほしいと思って出したお菓子を、聞き手がその場で一緒に食べることは、食べてほしいと思っていたことが実現したとも言えます。
「聞けば叶う」「言えば叶う」は、聞き手と話し手の相互作用です。
話し手と聞き手の間で、言葉の袋を開けると、夢や思いが溢れてくる。
そんな思いを、わもんな言葉に詰めて♪
聞けば叶う〜わもん入門
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