調べたといっても、WEB上で検索して、サイトを読みまわったというだけです。
WEBで検索した結果は、
- 「文明開化」の略である
- 「文治教化」の略である
どちらが正しいのかはわかりませんが、どちらかというと「文治教化」の略の方がふさわしいように思います。
「文明開化」というのは語源が結構はっきりしているようで、福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年、明治8年)でcivilizationの訳語として使ったのが始まりだとされています。
現代では、civilizationと聞くと、訳語として「文明」という語が当てられるのが多いですね。
一方、「文化」という訳語が当てられるのは、cultureです。
おそらくは、civilizationもcultureも文明開化の時期、すなわち開国後~明治時代初期に外国語として入ってきたと思います。
そこで、civilizationには「文明開化」を当てて、cultureに文明開化を略した「文化」を当てるのには何となく違和感があります。
もちろんcivilizationには、今日でいう「文化」というような意味も含まれているので、「文明開化→文化」という流れもわからなくはないですが、もしそうであるならばcivilizationの訳語に「文明」「文化」の両方を当てて、cultureには別の訳語を当てるのではないかと思います。
「文治教化」というのは、「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という漢語です。
「文治教化」の略として「文化」。
中国の古典『説苑』に「文化して改めざれば、しかるのち誅を加う」という言葉が載っているようです(『説苑』は未確認)。
「武化」の対義語としての「文化」とのこと。
「文武両道」という言葉もありますね。
この「文化」という漢語が日本に伝わり、cultureの訳語となったという方が、流れとしてはふさわしく思います。
また、江戸時代には「文化」という元号があります。
「文化」の後は「文政」と続き、日本史の教科書では、文化・文政時代の町民文化は「化政文化」と称されています。
文化時代は1804年(文化元年)~1818年(文化15年)までです。
当然、明治時代よりも前に「文化」という語はあった、ということになります。
そのため、ここでは、「文化」というのは「文治教化」の略だということで進めていきます。
「文治教化」というのは、先にも書いたように「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という意味です。
しかし、現在「文化」というときには、このような意味を思い浮かべることはありません。
Wikipediaの「文化」の項には、「総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである」と書いています。
「文治教化」での意味は、何となくトップダウンのような雰囲気がありますが、「文化」という場合は、ボトムアップのようなイメージです。
英語のcultureの訳語になったからそうなったのかもしれません。
しかし、ちょっとひねくれた考え方かもしれませんが、江戸時代の化政文化のイメージがあったのではないか、とも思えます。
もちろん「化政文化」というのは後々に付けた名称だと思いますが、「化政文化」は江戸を中心として町人・庶民から栄えた文化です。
「化政文化」の前には、上方を中心にして「元禄文化」と呼ばれる文化があり、こちらも町人・庶民から栄えています。
「元禄文化」「化政文化」という名称がいつ頃どのように付けられたのかは知りませんが、cultureの訳語を考えていた人が「江戸の文化時代のようなものがcultureだと思う」などと考えていたのではないか、というような想像をしています。
現在の視点から考えると、「文」という文字には「学問」の意味の他に、「模様、紋様」のような意味もある(「文」を「あや」と読めばわかりやすい)ので、「文化」というのは、埋もれていた生活習慣とか価値観、パターンが現れてきた、変化してきたものと考えるのが普通だとは思いますが。
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