2020/06/27

漱石のホトトギスの漢字(メモ)

前回の続き)

漱石は「ホトトギス」の漢字をどのように使い分けていたのか。ひとまず、漱石全集から「ホトトギス」を抜き出してみよう。

こんなときに漱石全集が役に立つ。漱石全集の第28巻『総索引』から「ホトトギス」が掲載されているところを確認していく。俳句雑誌『ほとゝぎす』については別項目として取り扱われているので助かる。

『総索引』での「ホトトギス」の掲載箇所は以下であった。丸で囲んだ数字は巻数で、たとえば②133ならば第2巻の133頁に記載されているという意味である。
時鳥/郭公/子規/杜鵑/不如帰
 ②133、140 ④27、233 ⑯17、18、141、204
 ⑰526、季語 ⑱111 ⑳159 ㉒4 ㉔35 ㉖249
これらの個所をざっとメモしておく。

第2巻の133頁、140頁はともに「一夜」という短編内であった。表記はどちらも「ほとゝぎす」である。

第4巻27頁、233頁は『虞美人草』で、27頁は「子規」、233頁は「時鳥」。

第16巻の17頁、18頁は先日の「不言の言」の個所。17頁「杜鵑」、18頁「不如帰」。141頁は藪野椋十『東京見物』の序。「子規」が見える。204頁(203頁が正しいか?)は「創作家の態度」で、「時鳥」だが、蕪村の句「時鳥平城京を筋違に」について述べている箇所である。

第17巻は『俳句・詩歌』で、526頁は無題の俳体詩で、「ほとゝぎす」とひらがな。またホトトギスを季語とした俳句が多数掲載されているので、別に記載しようと思う。

第18巻111頁は漢詩。「杜鵑」と書いて、書き下し文には「とけん」との振り仮名。

第20巻159頁は明治43年7月10日付の日記。「不如帰」と「時鳥」があったが、「時鳥」の方は藤井節太郎の手紙の引用内。

第22巻4頁、明治22年5月13日付書簡。正岡子規宛の書簡で、俳句内に「時鳥」の漢字が使われている。第17巻にも同じ俳句が掲載されている。

第24巻35頁、大正2年5月18日書簡。大谷繞石宛の書簡。「子規」が使われている。

第26巻249頁、正岡子規の小説集『銀世界』の評。「ほとゝぎす」が使われているが、子規の本文「山桜かなほととぎす」への書き込みである。

俳句の季語を除いてざっと確認した。⑯204と㉖249は除外してもいいだろう。㉒4も俳句の季語として確認するときにあらためて確認できるので、ここでは省いた。

②133(ほとゝぎす)、②140(ほとゝぎす)、④27(子規)、④233(時鳥)、⑯17(杜鵑)、⑯18(不如帰)、⑯141(子規)、⑰526(ほとゝぎす)、⑱111(杜鵑)、⑳159(不如帰)、㉔35(子規)

さて、何か見えてくるだろうか。

俳句の季語を確認したあと、あらためて詳細を確認していこうと思う。

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