2020/06/25

法華経と鳴かせてみたいホトトギス

漱石の「不言の言」と題する小論がおもしろかった。

「不言の言」は、雑誌『ほとゝぎす』の第2巻第2号・第3号(明治31年11月、12月)に掲載されている文で、次のようにはじまっている。
「ほとゝぎす」なるものあり。一日南海を去って東都に走る。
『ほとゝぎす』は明治30年(1897年)、四国松山で創刊された俳句文芸雑誌であるが、翌年(明治31年、1898年)には、発行所が松山から東京に移った。それをふまえての文である。漱石自身は「糸瓜(へちま)先生」を名乗り、冗談混じりで論を進めていく。「不言の言」は、全体的には、俳句と英詩を比較した小論である。

そのなかで、次のように書かれていた。「杜鵑」は「ホトトギス」と読む。
杜鵑鳴て雲に入る。観音で耳をほらすも行燈を月の夜にするも彼の知らぬ事なり。但吾に杜鵑の好音なし。寧ろ糸瓜の愚を学ばんか。書して之を「ほとゝぎす」に質す。「ほとゝぎす」曰く法々華経。
信長、秀吉、家康の3人の天下人の性格を表す句で、ホトトギスが鳴かぬなら「殺してしまえ」「鳴かせてみせよう」「鳴くまでまとう」というものがあるが、漱石は「法々華経」と鳴かせているのがおもしろい。石に漱ぎ流れに枕する漱石の面目躍如といったところである。

3人の天下人のホトトギスの句は、本人が自身で作った句ではなく、Wikipediaによると、江戸時代後期の平戸藩主松浦清(松浦静山)の『甲子夜話』に見えるという。それを見たこともあり、ひとつ調べてみたいことができた。

3人の天下人のホトトギスの句はWikipediaに以下のように書かれていた。
なかぬなら殺してしまへ時鳥(織田信長)
鳴かずともなかして見せふ杜鵑(豊臣秀吉)
なかぬなら鳴まで待よ郭公(徳川家康)
「時鳥」「杜鵑」「郭公」と漢字は違っているが、どれも「ホトトギス」と読む。他にも「不如帰」という漢字もある。上の「不言の言」の引用箇所のすぐあとに、「不如帰」の漢字が使われている。
法々華経か。不如帰か。不如帰か。法々華経か。知らず只一転語を下し得て恰好なりと思惟するなかれ。糸瓜亦自ら転身の一路なきにあらず。
何らかの意図があり「杜鵑」と「不如帰」を使い分けていると思われる。また「格好なりと思惟するなかれ」とも書いているので「郭公」と書いて「ホトトギス」と読むことも知っていると思われる。

さて、漱石は「ホトトギス」の漢字をどのように使い分けていたのか。これが、調べてみたいと思ったことである。

ひょっとすると、既に誰かがどこかで調べていることであるかもしれないし、また、漱石は特に意図なく使い分けていたのかもしれない。私自身については、今のところわからないところなので、結果も見えていないことだが、ひとまずわかる範囲で調べてみたいと思う。


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