2015/01/05

2014年の振り返りと2015年の目標

年末にすべきことかもしれませんが、昨年の振り返りと、今年の目標についてです。

2014年の目標は以下の3つ(「2013年の振り返りと2014年の目標」参照)。
  • フルマラソンで4時間半を切り、自己ベスト更新。
  • 笑顔のコーチングを3回以上開催し、参加者延べ25人以上。
  • わもんで年内に名人になる。

まずは、結果と自己評価です。

【マラソン】

2014年中、フルマラソンの大会に出場した回数は2回。

3月の「大阪42.195kmフルマラソン大会」と、10月の「大阪マラソン」です。

3月「大阪42.195kmフルマラソン大会」は、リタイア。

10月「大阪マラソン」は、歩きつつも完走。

大阪マラソンの記録は5時間48分(ネットタイム:5時間37分)で、自己ベストならず。

目標に対する結果としては×ですが、倍率の高い大阪マラソンに抽選で当たり、歩きつつもゴールできたことは嬉しく思います。


【笑顔のコーチング】

目標として挙げておきながらほとんど活動しておらず、11月1日の夢の日に実施した「夢の日コーチングワークショップ」の1回のみ。

「夢の日コーチングワークショップ」は「笑顔のコーチング」とは異なる内容ですが、ハロードリーム関係のイベントとして1回に数えています。

3回の実施はしておらず、結果は×。

参加人数も25人には達しておりません。


【わもん】

2014年初めに年内名人宣言をしており、2月には四段となり幸先よくスタートしましたが、五段には至りませんでした。

ですが、目標設定をした3つの項目の内、一番活動したのが「わもん」となります。

結果としては×ですが、実り多い一年でした。


【総評】

昨年年初の目標は全く達成できておりませんが、2014年は動きの多い一年でした。

特に大きかったことは、十数年勤めていた会社を辞めたことです。

昨年の今頃は、そろそろ退職してもいい頃かも、という思いでした。

しかし、昨年1月に参加した本間先生のグループコーチングをきっかけに、「わもん」で年内名人宣言をし、それならば、と退職の時期を設定し、…など、周りの環境が動かないと大きな動きをしない私が、自ら動くことが多い一年でした。

また、目標には掲げていませんが、このブログで掲載している「わもんな言葉」が100項目に達し、素敵な本となりました(詳細は別に記載したいと思います)。

反省するべきところは多々ありますが、2014年は非常に意味のある節目の年になったと思います。


さて、これらも踏まえて今年2015年の目標設定です。

まずは、仕事について。

「わもん」を軸とした活動をおこなっていく予定ですが、現在、職業としては「無職」の状態です。

したがって、収入面を考える必要があります。

このブログは「Off the Job Training」というタイトルが示す通り、仕事以外のことを中心に書いてきましたので、目標設定も仕事以外のことを書いていました。

会社を辞める前からタイトルを変えるか、別のブログを立ち上げるかしようと考えていましたが、まだ手つかずの状態。

現時点では、このブログはそのまま残す予定で、仕事については別のブログを立ち上げようと思っています。

そのため、今回は仕事面の具体的な目標はここには挙げません。

しかし、それでは寂しいので、仕事について抽象的な目標として「2015年の年末には、仕事が軌道に乗っている」というものを挙げておきます。


仕事以外の目標は、これまでも続けてきた「マラソン」と「笑顔のコーチング」について、です。

マラソンは、自己ベスト更新もさることながら、達成したいことは「歩かずに本当の意味での完走」です。

現在の自己ベストは4時間39分ですが、このときも歩いています。

歩かずに完走できれば、自己ベストもついてくると考えています。

「笑顔のコーチング」については、開催しようとしなければ開催しないものなので、今年は参加者人数の目標設定は外して、開催実績を目標に据えたいと思います。

定期的に実施していきたいですが、昨年は1回という実績なので、回数は昨年と同様にして、定期的にという意味を込めて、4ヶ月に1回を今年の目標にします。

11月1日の夢の日(もしくはその前後の夢の日ウィークス)には実施したいので、時期として、3月・7月・11月に実施を、今、思いました。

3月ならば、もう動かないと…。


【2015年の目標まとめ】
  • 2015年の年末には、仕事が軌道に乗っている。
  • フルマラソンを歩かずに完走する
  • 笑顔のコーチングを年3回(4ヶ月に1回)実施する。

2014/11/26

手のひらで思うこと

店から出ると、雨が降っている模様。

アスファルトの道路が湿っている。

道行く人を見ると、傘をさしている人もいれば、さしていない人もいる。

傘を持っていなかったので、雨はどのくらい降っているのだろうと、手のひらをかざした。


ふと、なぜ手のひらをかざしたのか、と思う。

雨がどのくらい降っているのかを知るためならば、服を着ている部分は別として、顔にあててもわかるだろうし、手の甲でもわかる。

しかし、手のひらを上にして確認している。

おそらく、手のひらが一番確認しやすいところなのだろう。


触覚という観点からいえば、身体の中で手のひらが一番敏感かどうかはわからない。

顔の方が敏感なような気がするし、足の裏はほとんど地面などに触れているため鈍感な感じがするが、触られるとくすぐったい。

手のひらは、確認しやすいといったほうが無難だ。


「手のひらを返す」という言葉がある。

手元の辞書を引いてみると、「手の裏を返す」と書いてあり、「手の裏」の項を見ると、「手の裏を返す」の意味として、「態度や言うことが、今までとすっかり変わることのたとえ」とあった。

ちなみに「手の裏」とは「手のひら」のこと。

さて、「手の裏を返す」というのは、手のひらが上を向いているところを下にむけることだろうか。

それとも、下に向いているのを上に向けることだろうか。


「手の内を見せる」という言葉がある。

辞書の「手の内」の項には、「手の内=手のひら」とある。

「手の内を見せる」ときの「手の内」の意味は、「考えていること、これからの計画」のこと。

手のひらを上にしているのを下に返せば、考えや計画を伏せることになるだろうか。


また、「手のひら」のことを「掌(たなごころ)」という。

辞書で「たなごころ」を引いてみると、「手のひら」とあった。

そして、「たなごころを指すように」の意味として、「よく知っていることのたとえ」ともあった。

手の内を相手に見せるのは、身体的には手のひらを相手に見せることとすると、相手の手の内を知っているならば、手のひらを指さして見るのがいいかもしれない。


病気やけがなどに対して処置することを「手当て」という。

手を当てるときは、手のひらを当てる。

手を当てただけでは止血くらいの効果しかないのかもしれないが、手の内を相手に当てるのは「心配している」とか「大丈夫だ」というような考えを直接送っているのかもしれない。


「手の目」という妖怪がいる。

手のひらに目がついている姿で描かれる。

目は受信器官だが、視線を飛ばすことができる。


手のひらで雨がどのくらい降っているのかを確認したとき、傘を持っていなかったので、あまり降っていないでほしいという思念を空に飛ばしたのかもしれない。

豪雨のときに、どのくらい降っているのかと、手をかざしている人を見たことがない。

2014/11/21

わもんな言葉100-一人一天命

「天命」と聞くと思い出す一節があります。

儒学の四書のうちの一つ『中庸』の冒頭部分です。
天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率うをこれ道と謂う。
道を修めるをこれ教と謂う。
『中庸』では、天の命じたこと、つまり、天命のことを「性」といいます。

そして、その性に従って生きることを「道」。

その道を整えたものが「教え」です。


「性」というのは、本性や性格、人間性や特性などの「性」。

「個性」も「性」のひとつでしょう。

そうすると、個性は天命とつながっています。


人にはそれぞれ個性があります。

それぞれ性格も違います。

それとともに人間性も持っていますし、男性・女性などの性もあります。

これらの性は持って生まれたもの。

天が命じたものともいうことができます。


ひとりひとりそれぞれ違う「天の封書」を持っています。

それぞれ違う個性があります。

性に従って生きると、道となります。

ひとりひとり違う道があります。

ひとりひとり、それぞれの天命があります。


私自身の天命が何であるのかは、まだわかっておりません。

しかし、何らかの天命があるということはわかっています。

この「わもんな言葉」を書き続けていることは、私しかしていないことで、現在は私だけの道です。

ここには私の「性格」や「個性」が反映されています。

ならば、天命につながってもおかしくない。


普段何をしているときが楽しいか、自分らしいのはどんなことか。

素の自分とは、どんな自分か。

日ごろの中に個性があります。

道があります。

その道は天命につながっていると思うのです。

そして、日ごろのあり方を整える方法のひとつが、わもんだと思うのです。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/11/20

わもんな言葉99-素を聞き直にする

今年2014年10月、やぶちゃんが聖(ひじり)認定となりました。

「第2回輝くあなたに逢うわもん会in伊勢」でのことです。

今年は上田比呂志さんをお迎えし、「ひとりひとりの心の中の天岩戸を開く」と題されて開催されました。


その2日目、神宮での正式参拝の際、上田比呂志さんに言葉が降りてきます。

やぶちゃんに伝えてほしいという言葉で、やぶちゃんにはお役目として、「素(そ)を聞き、直(ちょく)にする」という役割があるということです。


そして最近、偶然、吉田松陰の『講孟箚記』を読みなおしたところ、「序」の中に以下の文言がありました。
然れども天下の人、方且に富貴に淫せられ貧賤に移され、安楽に耽り艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。宜なるかな、其の道を見て以て高く且美しくして及ぶ可からずと為すや。


其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。

「平素の心がけを失い、そのような混乱から抜け出ることができないでいる。」と訳されています。


「素」というのは平素の「素」でもありますが、手元の漢和辞典を引くと次の意味が載っていました(名詞的意味のみ抜粋)。
①より糸にする前のもとの繊維。蚕から引き出した絹の原糸。
②人工を加えたり、結合したりする前の、もととなるもの。
③人工を加えない本質。生地のままのさま。飾り気のないさま。

松陰は、天下の人々が、富貴貧賤・安楽艱難に染められ、素を失ってしまい、抜け出ることができないでいることを嘆いています。

道というものは、高く美しいものではあるが、身近で簡単なものであるのに、と。


『講孟箚記』とは、吉田松陰の『孟子』の講義録。

『孟子』の一節を思い出します。
己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者はあらざるなり。
己(おのれ)を曲げる者で、人を真っ直ぐにする者は未だいない。


素を聞き、直にする。

やぶちゃんにふさわしい役割です。

講孟箚記(上) (講談社学術文庫)
講孟箚記(上) (講談社学術文庫)

聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/11/19

わもんな言葉98-直感は未来からの予告

最近、「U理論」というものに興味を持っています。

U理論とは、MITのオットー・シャーマー博士の提唱している理論で、その著書『U理論』の副題からいうと、「過去や偏見にとらわれず、本当に必要な『変化』を生み出す技術」です。

そのU理論の考え方の一つとして、「出現する未来からの学習」があります。

「人には二つの異なる源(ソース)による学習」があり、一つは「過去の経験からの学習」、もう一つは「出現する未来からの学習」。

そして、『学習する組織』の著者で、組織学習で有名なピーター・センゲは、『U理論』の序文の中で、「出現する未来から学ぶ」ことについて以下のように述べています。
こうした学び方(過去の経験からの学習)はつねに重要だが、現代のように大きな変化が生まれつつある時代では、到底それだけでは十分とはいえない。そこで、まだよく知られていないが新しい学習方法が求められる。シャーマーはこれを「出現する未来から学ぶ」と表現する。出現する未来から学ぶことはイノベーションには不可欠だ。出現する未来から学ぶには直感が必要だ。非常にあいまいかつ不確実な状況を許容し、失敗を恐れないことが求められる。想像もつかないようなことに直面し、不可能なことを試みることを覚悟しなければならない。我々は恐怖と危険を感じつつも、これから出現しようとするきわめて重要な何かに貢献しているのだという気持ちによって、前進を続けることができる。
U理論の「U」は、何かの略号ではなく、いったん深く潜って帰ってくる形が「U」の文字に似ていることから名づけられました。

書籍『聞けば叶う~わもん入門~』での「話聞一如」の説明には「心の奥底」という表現が使われています。
「わもん」をおこなうことによって、聞き手が話し手の「声なき声」を高い精度で感じとったとき、両者が言葉を介することなく思いを分かちあっている状態。聞き手が完全沈黙の状態を保ち、絶対尊敬を贈りつづけて、話し手の心の奥底にある思いをすっかり受けとめきったときに発生する、最高のありよう。両者は自他の境界をこえ、「無意識共同体」でつながりあう。
聞き手にとっての「声なき声」は「直感」といえます。

心の奥底に「声なき声」は生まれます。

深く潜り、Uの底で「声なき声」が生まれ、言葉として結晶化(クリスタライズ)して帰ってくるのです。

U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

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