「第2回輝くあなたに逢うわもん会in伊勢」でのことです。
今年は上田比呂志さんをお迎えし、「ひとりひとりの心の中の天岩戸を開く」と題されて開催されました。
その2日目、神宮での正式参拝の際、上田比呂志さんに言葉が降りてきます。
やぶちゃんに伝えてほしいという言葉で、やぶちゃんにはお役目として、「素(そ)を聞き、直(ちょく)にする」という役割があるということです。
そして最近、偶然、吉田松陰の『講孟箚記』を読みなおしたところ、「序」の中に以下の文言がありました。
然れども天下の人、方且に富貴に淫せられ貧賤に移され、安楽に耽り艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。宜なるかな、其の道を見て以て高く且美しくして及ぶ可からずと為すや。
其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。
「平素の心がけを失い、そのような混乱から抜け出ることができないでいる。」と訳されています。
「素」というのは平素の「素」でもありますが、手元の漢和辞典を引くと次の意味が載っていました(名詞的意味のみ抜粋)。
①より糸にする前のもとの繊維。蚕から引き出した絹の原糸。
②人工を加えたり、結合したりする前の、もととなるもの。
③人工を加えない本質。生地のままのさま。飾り気のないさま。
松陰は、天下の人々が、富貴貧賤・安楽艱難に染められ、素を失ってしまい、抜け出ることができないでいることを嘆いています。
道というものは、高く美しいものではあるが、身近で簡単なものであるのに、と。
『講孟箚記』とは、吉田松陰の『孟子』の講義録。
『孟子』の一節を思い出します。
己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者はあらざるなり。己(おのれ)を曲げる者で、人を真っ直ぐにする者は未だいない。
素を聞き、直にする。
やぶちゃんにふさわしい役割です。
講孟箚記(上) (講談社学術文庫)
聞けば叶う〜わもん入門
0 件のコメント:
コメントを投稿