儒学の四書のうちの一つ『中庸』の冒頭部分です。
天の命ずるをこれ性と謂う。『中庸』では、天の命じたこと、つまり、天命のことを「性」といいます。
性に率うをこれ道と謂う。
道を修めるをこれ教と謂う。
そして、その性に従って生きることを「道」。
その道を整えたものが「教え」です。
「性」というのは、本性や性格、人間性や特性などの「性」。
「個性」も「性」のひとつでしょう。
そうすると、個性は天命とつながっています。
人にはそれぞれ個性があります。
それぞれ性格も違います。
それとともに人間性も持っていますし、男性・女性などの性もあります。
これらの性は持って生まれたもの。
天が命じたものともいうことができます。
ひとりひとりそれぞれ違う「天の封書」を持っています。
それぞれ違う個性があります。
性に従って生きると、道となります。
ひとりひとり違う道があります。
ひとりひとり、それぞれの天命があります。
私自身の天命が何であるのかは、まだわかっておりません。
しかし、何らかの天命があるということはわかっています。
この「わもんな言葉」を書き続けていることは、私しかしていないことで、現在は私だけの道です。
ここには私の「性格」や「個性」が反映されています。
ならば、天命につながってもおかしくない。
普段何をしているときが楽しいか、自分らしいのはどんなことか。
素の自分とは、どんな自分か。
日ごろの中に個性があります。
道があります。
その道は天命につながっていると思うのです。
そして、日ごろのあり方を整える方法のひとつが、わもんだと思うのです。
聞けば叶う〜わもん入門
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