すべって、確認できておりませんが…。
それはさておき。
先日よりやぶちゃんねるの《やぶちゃんマインド一日一語》で、トップランナーのあり方が掲載され始めました。
トップランナーのあり方を考えてみました 。ご覧くださいヤブログ: 【2013/02/20やぶちゃんマインド一日一語】 yabuchan.jp/yablog/?p=14502
— わもん聞く匠 薮原秀樹 通称:やぶちゃんさん (@wamonyabuchan) 2013年2月19日
そして、ちょうどその日、『講孟箚記』の中に以下の言葉を見つけました。
己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者あらざるなり。此の語、誠に切実と云ふべし。全章の議論、此の一転に至り、皆是脱卸するなり。世の政を為すもの、大抵己が身心に原くることを知らず。文武を興し節倹を崇み廉恥を励ますなど云ふ類、号令篠の如く下れども、悉く皆張釋之が所謂具文となり、毫も其の効なき者は、人心は上の令に従はずして、上の好みに従ふものなるを以てなり。今、在上の君子、真に能く斯に心付き、晏安偸惰の欲を絶ち、身を戦場に置くの思ひをなし、以て率ひ先んずるときは、令せずして下民自ら従ふべし。
『講孟箚記』というのは、吉田松陰が獄中で囚人相手に行なった、『孟子』講義。
「己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者あらざるなり」というのは『孟子』滕文公下の首章にある言葉です。
「自分を曲げる者で、人をまっすぐにすることができる者はいたためしがない」というような意味ですが、松陰はこの言葉を評して「誠に切実といわねばならない」と言っています。
意訳すると、「世の中で政治をなす者は、たいてい自分の身心が根本であることを知らない。いろいろな命令を下しても、形だけで少しも効果がない理由は、人の心はお上の命令には従わず、お上の好みに従うものであるからだ。今、上にいる為政者が、真にこの心に気付き、楽をしたい怠けたいという欲を断ち、戦場に身を置く思いで、率先してするならば、命じなくとも民は自ら従うだろう。」というような意味です。
松陰は政治の話を出していますが、トップランナーのあり方はここにあります。
講孟箚記(上) (講談社学術文庫 442)
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