2012/09/12

わもんな言葉15―話すわもん

「人は“ひらがな”で話を聞いている」

西任暁子さんの『「ひらがな」で話す技術』に書かれている言葉です。

なるほど、と思いました。


文字は別として、音声での言語表現は物理的にみると音の連続です。

横軸に時間、縦軸に周波数をとってグラフに表しても、単語の切れ目や文節の切れ目がどこにあるのか、そのグラフを見ただけではわかりません。

グラフから言葉の意味を読むことはできません。


そうやって耳に入ってくる音の連続を私たちは「ことば」として聞いています。

アクセントや抑揚など、単語や意味のまとまりを示す目印はあるにしても、かなり不思議ですごいことです。


このことをわかりやすく表現した言葉が、冒頭の「人は“ひらがな”で話を聞いている」という表現だと私は認識しています。


「人は“ひらがな”で話を聞いている」ならば、わかりやすい話し方は「“ひらがな”で話す」こと。

『「ひらがな」で話す技術』は、わかりやすく話すための方法について書かれた本です。


この本を読んだとき、「話すわもん」を思いうかべました。


「わもん」は漢字で書くと、「話す」と「聞く」で「話聞」。

「わもん」は「聞く修行」といい、「聞く」に重点を置いていますが、「わもん」の提唱者やぶちゃんは、「わもん」には「話すわもん」と「聞くわもん」がある、といいます。



『「ひらがな」で話す技術』では、「はじめに」の中で、西任さんは次のように言います。
大切なのは、自分の話が「相手にどう聞こえているのか」を徹底的に考え抜くこと。「音」で聞いている相手の頭の中がどういう状態なのか、常に想像することなのです。

おもしろいと思ったのは、『「ひらがな」で話す技術』の最終章が「「話す」とは心の矢印を相手に向けていく作業」というタイトルだったことです。

わもん日めくりカレンダーに「心の矢印を自分に向ける」という言葉があります。

「聞くとき」と「話すとき」では心の矢印の方向が逆。

言い換えると、聞き手と話し手の心の矢印の方向は同じ。

聞き手と話し手が、対立(→←)ではなく、方向を同じく(→→)すれば、合力となり、より深い話が聞ける、話せるのではないかと思います。


【追記】
ここまで書いて公開しましたが、心の矢印について誤解されてしまう可能性がありますので追記します。

わもん日めくりカレンダーの「心の矢印を自分に向ける」というのは、話を聞くときに、話し手を責めたり、否定したり、誰かのせいにせず、自分に向けることを指します。

一方、『「ひらがな」で話す技術』の「「話す」とは心の矢印を相手に向けていく作業」というのは、相手目線で話すという意味で「心の矢印」という言葉を使っています。

「『聞くとき』と『話すとき』では心の矢印の方向が逆」と書きましたが、話すときには聞き手を責めたり、否定したりする、という意味ではないことを付け加えておきます。

最後の文章は、矢印の方向を変えて、
聞き手と話し手が、対立(→←)ではなく、方向を同じく(↓↓)すれば、合力となり、より深い話が聞ける、話せるのではないかと思います。
とした方が、「深い話」ともイメージが合致します。


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