2013/03/20

わもんな言葉35-玄

先日、伊與田覺さんの『中庸に学ぶ』を読みました。

儒学の四書のうちのひとつ『中庸』について、伊與田さんが行った講演の講演録です。

その中の一節。
この「徳」には二つの面があります。一つは、目には見えないが、内にあって大きな働きをしている徳。木にたとえると根に相当するところの徳を「玄徳」といいます。他方、外に現れる徳。木にたとえると幹や枝、葉・花・実にあたる部分ですが、これを目に見えるから「明徳」というのです。

当然(?)のことながら、「玄」を思い出します。


わもん黒帯は「初段」から「七段」まであり、次は「名人」。

その後、「匠」「聖」「玄」と続きます。

この段位がいつどのように名付けられたか、由来は全く知らないのですが、「玄徳」と関係がありそうな気がします。


「玄徳」とは、「木にたとえると根に相当するところの徳」というのも、また面白いところ。


言葉は「言の葉」で、1枚の葉っぱに気をとられると全体が見えなくなる。

音を入り口に話を聞き、葉っぱのみならず根っこへ。

根っこの音が「本音(根)」。


「玄」という漢字には、「ほの暗くてよく見えない」「奥深くて暗い」という意味があります。

学習理論でいうところの「無意識の有能」を思います。


「わもん入ってる」ことさえ忘れた心境。

意識せずとも話を深く聞ける心境。


「道は則ち高し、美し、約なり、近なり」とは、吉田松陰の『講孟箚記』の序の冒頭。

高く美しくもあり、簡単で身近なもの。


まだまだ私は「意識的な無能」段階かもしれませんが、「意識的な有能」そして「無意識の有能」へと学んでいきたいと思います。

「中庸」に学ぶ
「中庸」に学ぶ

わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う