2012/03/31

為政第二・4「子曰、吾十有五而~」

『論語』の中でも特に有名な章句のひとつ。
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。
ここから年齢の呼び方が生まれています。
15歳「学志(がくし)」
30歳「而立(じりつ)」
40歳「不惑(ふわく)」
50歳「知命(ちめい)」
60歳「耳順(じじゅん)」
70歳「従心(じゅうしん)」
さて、自分の年齢を鑑みると…、学に志してもいなければ、自立しているとも言い切れない…。

次に迎えるは「不惑」。

戸惑うことなく生きていけるのでしょうか…。


ただし、「心の欲する所に従いて矩を踰えず」という境地には向かいたいと思っています!

2012/03/30

淀川散歩

淀川を散歩してきました。

てくてくと下流に向かって歩きます。

途中、土手で何かを摘んでいる方々がいて、何だろうと思って見ていると、どうやら土筆のようです。

土筆を摘んでいる方に向かって、足元をよ~く探してみると、ありました!

こちらにも!

久しぶりに土筆を見ました。


少し風は強かったですが、日差しのよいいい天気♪

ハトも嬉しそうです。

対岸には梅田のスカイビルが見えます。

大阪に出てきて初めて淀川を見たとき、「すごい大きな川だなぁ」と感じました。実家はどちらかといえば山に近い方で、流れが比較的早く川幅もそれほどない川しか見たことがなかったので、ゆったりと流れる淀川を見て、これも川なんだ…と感じた記憶があります。

阪急電車の十三・梅田間をつなぐ橋を越えて…

スカイビルも近づいてきました。

下流へ行くにつれて、川幅も広くなっていきます。

ここで、舗装された道がとぎれています。

しかし、橋の下をくぐれば、まだ行けそうなので、進みます。

けもの道(たぶん人が通った道ですが…)が続きます。

また開けた場所に出てきました♪

また、道がとぎれました…が、ここも行けそうです。

もう少し歩いていきます。どうやらもう少し歩けば海に行きそうです♪

が、疲れてきたのと、いい時間になってきたので、何かの水門のところで引き返すことにしました(^-^;) 水門の上は通れるようになっていたので、もっと向こうまで行くことはできます。

あとで地図で確認したところ、写真右側の高架橋は阪神高速湾岸線の模様。

遠くに観覧車らしきものが見えます(写真はズームして撮っています)。

スカイビルの見える角度も変わっています(これもズームで撮っています)。

とぼとぼと帰ります…。

日が暮れはじめ、人も少なくなってきました。

どこかの淀川の看板は、英語表記にしたとき「Yodogawa River」と書かれていて、「淀川川」じゃないか(笑)と思ったのですが、ここでは「Yodo River」となっていました。

FINISH!

4月1日(日)に「なにわ淀川ハーフマラソン」が開催されます。

かなり歩いたと思っているのですが、時間的な観点と、「なにわ淀川ハーフマラソン」のコースから考えると、多分20kmも歩いていないと思います。ですが、足の筋は痛くなるし、おそらく足に水ぶくれはできているかと…。


Googleマップでだいたいの距離を見たところ、片道7.1km…往復で15kmもなかったか…。

より大きな地図で 20120330淀川散歩 を表示



普段あまりしないことをする、いい休日でした♪

2012/03/29

為政第二・3「子曰、道之以政、~」

いつまで続くかわかりませんが、『論語』についての記事を書くペースを上げていきます。

本日は、為政篇の3つ目。
子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。

大まかな意味としては、「法制や刑罰のみで民衆を導いたりまとめたりしようとすると、民衆は規制されていなければ恥じることはない。しかし、徳や礼で導いたりまとめたりすると、己の身を恥じ正しくなる」ということです。


例えていえば、ここでいう「政」や「刑」は権限のようなもの。

ここから先はやってはいけない、でもここまではやってもいい、という境界線みたいなものです。

「政」や「刑」のみだと、やってはいけないことをやらなければ大丈夫、となってしまう可能性があります。


一方、「徳」や「礼」は理念や指針のようなもの。

このようにやっていこうという中心線のようなものです。

「徳」や「礼」があることで、そこから外れてしまった、という意識が芽生える。


私は電話窓口でスーパーバイザーの仕事をしていますが、オペレーターからたまに「ここまではやっていいという基準を明確にしてほしい」と言われることがあります。

しかしそれは「政」や「刑」を設けること。

「徳」や「礼」で以て説明していきたいところです。


2012/03/28

為政第二・2「子曰、詩三百、~」

詩三百、一言を以て之を蔽えば、曰く、思い邪無し。

「詩三百」とは『詩経』のこと。

『詩経』を一言でいえば、その思いに「邪(よこしま)」がない。

加地伸行さんは「邪無し」を「こころのままのまっすぐな表われ」と表現しています。


『詩経』は、いわゆる「五経」のひとつ。

儒教でいう「四書五経」の「五経」で、五経とは、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』です。

ちなみに「四書」とは、『大学』『論語』『孟子』『中庸』の4つ。


どれもまだ読んだことはありませんが、読んでみたいものです。


思い邪無し。まっすぐなこころの表われ。

素直。正直。


最近、このブログで書いた記事「心持ちのこと」が思い出されます。

2012/03/27

為政第二・1「子曰、為政以徳。~」

細々と読み続けている『論語』です。

ブログに書くのは、更に頻度が少なくなっています…。

このブログでは、やっと「為政篇」に入っていきます。

子曰く、政を為すは徳を以てす。譬うれば北辰の其の所に居りて衆星之と共にするが如し。

政(まつりごと)をするのは、「徳」を以てする。

例えるならば、「北辰の其の所に居りて衆星之と共にする」ようなものだ、と。


「徳」でもって政治をする。

言いたいことは、何となくわかります。


しかし、私には、その後の例えとのつながりが今ひとつわかりにくい…。

加地伸行さんの『論語』(講談社学術文庫)での現代語訳は、
為政者は民衆の模範となる有徳者でなくてはならない。〔そうであれば、その徳を慕って人々が集まってくる。〕比喩的に言えば、北辰がその位置に定まり、その他の星がそれを尊びつつ共に動くように。
というもの。

また、斉藤孝さんの『現代語訳 論語』(ちくま新書)では、
政治をするのに〈徳〉(人徳・道徳)があれば、不動の北極星をまわりの星がとりまいてあいさつするように、人々の心はその徳のある為政者にしたがうものだ。
との訳。

北辰(≒北極星)のまわりを星が周っているということは理解できるのですが、「尊びつつ共に動く」「とりまいてあいさつするように」という意味がどこから来たのか?

もちろん、このような言葉があった方が、「政を為すは徳を以てす」の例えとしてわかりやすくはあります。

また、孔子の時代には、北辰のまわりをその他の星がまわっているのは、北辰を尊敬しているためだという解釈をしていたということもあるかもしれません。

「北辰」の意味として、
《北極星が多くの星の中心であるところから》皇居。また、天子。
という意味もあるようですし(goo辞書「北辰」の項)。


ちょっと視点を変えて、「政を為すは徳を以てす」とその例えの要素を対照させてみましょう。

「北辰」は「為政者」、「衆星」は「民衆」ですね。

為政者を中心として民衆が動く。

そのために「徳」を以て。


ということは、「徳」というものは、天の運行でもある、ということがいえるかもしれません。


この一節だけではまだわかりませんが、孔子のいう「徳」がどのようなものか、「徳」をどうとらえているのか、を読み解かなければなりませんね…。


日本語で読みたい『論語』と言える。『論語』を通読するには一番適していると思う。

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