書くたびに「久々の…」がついているような気がします(^-^;)
君子は器ならず
短い言葉だけに、いろいろと解釈できそうです。
加地伸行さんの『論語』(講談社学術文庫)の訳は、
教養人は一技・一芸の人ではない。〔大局を見ることのできる者である。〕また、注として、
器物を「特殊の用に役立つのみ」とせず、技術的・実用的・日常的なこととし、君子はもっと精神的・内面的であれとする解釈がある。とのこと。
齋藤孝さんの『現代語訳 論語』では、
君子は、何かを入れる器ものでない。(そんな固まったものではなく、もっと自在な存在だ。)
『漢字源』の「器」の項を見ると、用例として「君子不器」を挙げた上で、
こまごました実用にだけ役立つもの。とありました。
この為政篇とは異なる公冶長篇にも「器」がでてきます。
子貢問いて曰く、賜や何如、と。子貢が孔子に「私はどうでしょうか?」と問います。
子曰く、女(なんじ)は器なり、と。
曰く、何の器ぞや、と。
曰く、瑚璉なり、と。
すると孔子は「お前は器だ」と。
私の中では、「器」というのは「肩書き」とか「役割」のようなイメージです。
論語の中で似た言葉を探すと、「位(くらい)」です。
別の言葉でいうと「外見」。
というわけで、私は、加地伸行さんの『論語』(講談社学術文庫)の注にある解釈を取りたいと思います。
感覚だけで選んでいるので、この解釈が正しいのかどうかはわかりません。
日本語で読みたい『論語』と言える。『論語』を通読するには一番適していると思う。
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