【教化】(名・他サ)教えて感化すること。
【感化】(名・他サ)知らず知らず・いい(悪い)ほうに変化させること。
見出し語とその意味の間には、(名・他サ)という略号があります。
「名」というのは「名詞」、「他サ」というのは、「他動詞・サ行変格活用動詞」という意味です。
「教化」「感化」という語は、名詞としても扱われますし、動詞「する」を伴って「教化する」「感化する」というように動詞としても取り扱われます。
「教化する」「感化する」はどちらも他動詞で、文を作るときには目的語を伴います。
例えば、「国民を教化する」「国民を感化する」というように、「~を」という目的語を伴います。
さて、「教化」「感化」ともに「教・化」「感・化」というように、「教」「感」それぞれに「化」(接尾辞?)をつけた語です。
これら「教」「感」は、動詞としては「教える(あるいは、教わる)」「感じる」となります。
「教化する」「感化する」と「教える(教わる)」「感じる」の関係を考えてみると興味深いことがわかります。
先に「国民を教化する」「国民を感化する」という例を挙げましたので、そこから考えてみましょう。
「国民を教化する」で「教える」のは誰でしょうか?
ここでは表示されていませんが、「教える」という行為をする人は「国民」ではありません。
「国民を教化する」というのは、誰かが「国民」を(に)教えて変化させる、という意味です。
では、「国民を教化する」の「教」を「教わる」と考えてみましょう。
そうすると、国民が教わって変化する、という意味になります。
同じように「国民を感化する」という例ならば、国民が感じて変化する、という意味になります。
構造的に対になるように解釈するならば、「国民を教化する」は「国民が教わって変化する」、「国民を感化する」は「国民が感じて変化する」。
「国民が教わって変化する」よりも「国民が感じて変化する」の方が、何となく国民の主体性が感じられます。
自ら変わった、という意味合いが強く感じられます。
「教化より感化」というのは、相手を変えようとするのではなく、自然に変わってもらうことです。
以下は、株式会社わもんのHPからの引用です。
わもんが目指しているもの
「人を動かす」から「人が動き出す」ことを目指しています。
徹底して聞きこむことで、相手の中にある答えを自然と見つけ出します。
そのとき、相手は自らの答えを理解納得して自ら動き出すようになる。
そして、究極は動き出すから走り出すへ。
0 件のコメント:
コメントを投稿