ことばには、それを発する人の思いや考え方、経験、感情など、様々なものが入り混じっています。
しかし、ことばとして表現されるのは氷山の一角。
話し手が伝えたいことが、圧縮されたり、単純化されたり、パッケージ化されたりして、その一部がことばとして表現されます。
そんなことばから、そのことばの背景や裏側にあるもの、それらを感じること、それが深い聞き方であると考えています。
同じ言葉でも、声の調子やピッチ、高さ、抑揚、アクセントなどで違いがあります。
私は「言葉は入れ物」と考えています。「枠」といえるかもしれませんし、「袋」と表現してもいいです。
例えば、お菓子。
ほとんどのお菓子はパッケージに入れられて売られています。
そのパッケージをみると、そのお菓子がチョコレートなのか飴なのかクッキーなのか、だいたいわかります。どんな材料が使われているのか、どんな味なのか、いつどこで作られているのか、なども書いてあります。中身の写真や絵なども載っています。
しかし、実際の本当の中身は、予想はつきますが、開けてみるまでわかりません。想像通りのものかもしれませんし、思っていたものと違っていたということもあります。
ことばというのは、お菓子のパッケージみたいなものです。
思いや考え方、経験や感情、それらを包み込んで、ことばとして表現されます。
話し手の思っている中身と聞き手の思っている中身は違うかもしれません。ひょっとすると中身を入れずにパッケージだけ、ということもあるかもしれません。
私たちはことばを使って意思疎通を図ることがほとんどです。ひとつの事柄を表現するのにも、たくさんのことばを使います。
そうやってできるだけ近い思いをことばによって共有していきます。
逆に考えると、言葉は伝えたいことを包み、中身を見えなくしてしまうとも言えます。
話し手としてはできるだけ自分の思いを伝えられるように、聞き手としてはできるだけ相手の思いを感じられるように。
ことばを探してしまいます。
禅の言葉で「直指人心」という言葉があります。
「直ちに人の心を指せ」、言葉という媒体を通してではなく、直に心に触れる。
今は、この感覚を探しています。
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