最近、やぶちゃんが「聞く」ことの説明をするときに、「船長室」の例えがよく出てきます。
頭(脳)を「船長室」に例えて、「聞く」ことについての説明をしています。
船長室の中には「船長さん」がいて、話し手が話をするときに聞き手の船長さんが動き出すことがあります。
聞き手の船長室の中で、船長さんがわからないと思ったときは「わからない」が身体に表れます。
「聞く」というのは、船長さんが船長室を飛び出して、話し手の船長室にいくこと、という例えです。
では、なぜ「船長室」なのでしょうか?
「船長さん」でなくとも、運転手やパイロットなど、例えになりそうなものはいくつかありますが、なぜ「船長さん」なのか?
思えば「ミジンコ(直感)」でも同じような問いを立てました。
実際の船長さんがどのようなことをしているのかということは想像でしかありませんが、いくつか思いつくままに書いてみたいと思います。
まずは、頭(脳)を「船長室」に例えているということは、身体を「船」に例えているということです。
「船長室」があるような、結構大きな船。
船長さん自身が運転しているわけではなく、他に乗組員が何人もいて、その乗組員が全員ではないにしろ、船の運転をしています。
船長さんは、方向を決定したり、他の乗組員に指示出しをしたりしています。
身体と頭(脳)の関係のイメージに合います。
頭で考え判断し、身体に指示命令をするイメージです。
頭と身体の関係が、船長と船の関係に似ているため、「船長室」の例えが出てきたということは理由のひとつにあるかと思います。
船以外の乗り物では、あまりこのような例が浮かびません。
もうひとつの理由として、人生を航海に例えることがあるためではないかと思います。
人生とは、大海原を航海するようなものだという例えです。
目的地を目指し、針路を確認しつつ、途中嵐に遭うなど何が起こるかわからない航海です。
現在は安全性が高まっていますが、大航海時代ともなれば、それこそ命がけです。
新しいことが始まることを船出といったり、厳しい状況に遭うことを荒波にもまれるといったりします。
人生を航海に例えるならば、人を船に例えてもおかしくありません。
「船長室」の例えからここまで書きましたが、「船長室」や「ミジンコ」など、やぶちゃんが使う例えや比喩が「水」と関係するのも興味深いところです。
また、比喩やメタファー、アナロジーの力というものも興味があるところです。
聞けば叶う〜わもん入門
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