『第2回輝くあなたに逢うわもん会in伊勢』の開催が近づいてきました。
今年は10月1日・2日、上田比呂志さんをお迎えし、「ひとりひとりの心の中の天岩戸を開く」と題されての開催です。
イベント自体も楽しみですが、私は伊勢には行ったことがないので、こちらも楽しみです。
さて、神道にも歴史にも詳しくない私ですが、伊勢神宮のご祭神が天照大御神であることや、天岩戸の話などは知っています。
天照大御神が天岩戸に隠れ、世界が暗闇になったという話です。
オモヒカネやアメノウズメ、タヂカラオなど他の神々が知恵や力を合わせて、天照大御神を外に出そうと作戦を立てます。
隠れている天岩戸の外で、アメノウズメが舞い踊り、他の神々が楽しくしていると、天照大御神が「何をしているのかな」と岩戸を少し開けてのぞきます。
そこをタヂカラオがぐっと押し開けます(引っ張り出した、だったかもしれません)。
そして、世界に光が戻ったという話です。
日食とか、あるいは大きな火山の爆発による火山灰で太陽が見えなくなったとか、そのような現象をもとにした神話ではないかとも言われています。
さて、天照大御神はなぜ天岩戸に隠れてしまったのか?
詳しくは覚えていませんが、乱暴者の弟スサノオにあきれたか、愛想をつかしたか、そのような理由だったと思います。
今回の『輝くあなたに逢うわもん会in伊勢』は「ひとりひとりの心の中の天岩戸を開く」です。
乱暴者のスサノオにあきれて、心の中の天岩戸に隠れてしまった天照大御神を外に出そうとする作戦です。
過去の経験だとか、誰かから言われたことだとか、人それぞれに天岩戸に隠れてしまった理由があると思います。
中からちょっとのぞいてみてもらうには、岩戸の外で楽しくすることです。
なので、楽しみます♪
そして、楽しませてもらいます♪
聞けば叶う〜わもん入門
2014/09/16
2014/09/11
わもんな言葉89ーできると思う人はやり方を探す
出来ると思う人はやり方を探す。
出来ないと思う人は理由を探す。
この言葉を聞いたときに思い出すことは、『論語』の言葉です。
『論語』雍也編に以下の言葉があります。
「先生(孔子)の道を学ぶのをうれしく思わないわけではないが、力が足りないのです。」と冉求が言ったところ、孔子は「力が足りない者は、道半ばでやめるだろう。今、お前は自分で見切りをつけた」というような意味です。
冉求は、できないと思って理由を探し、「力が足りない」と言いました。
「汝、画れり」
孔子は、やる前(あるいは途中?)から「力が足りないのでできない」と言った冉求に対して、「自分で限界をつくった」と言っています。
あっ!
『論語』に言いたいことが書いてありますね!
聞けば叶う〜わもん入門
出来ないと思う人は理由を探す。
この言葉を聞いたときに思い出すことは、『論語』の言葉です。
『論語』雍也編に以下の言葉があります。
冉求曰く「子の道を説(よろこ)ばざるには非ず。力足らざればなり」
子曰く「力足らざる者は中道にして廃す。今汝画(かぎ)れり」
「先生(孔子)の道を学ぶのをうれしく思わないわけではないが、力が足りないのです。」と冉求が言ったところ、孔子は「力が足りない者は、道半ばでやめるだろう。今、お前は自分で見切りをつけた」というような意味です。
冉求は、できないと思って理由を探し、「力が足りない」と言いました。
「汝、画れり」
孔子は、やる前(あるいは途中?)から「力が足りないのでできない」と言った冉求に対して、「自分で限界をつくった」と言っています。
あっ!
『論語』に言いたいことが書いてありますね!
聞けば叶う〜わもん入門
2014/09/05
わもんな言葉88-船長室
最近、やぶちゃんが「聞く」ことの説明をするときに、「船長室」の例えがよく出てきます。
頭(脳)を「船長室」に例えて、「聞く」ことについての説明をしています。
船長室の中には「船長さん」がいて、話し手が話をするときに聞き手の船長さんが動き出すことがあります。
聞き手の船長室の中で、船長さんがわからないと思ったときは「わからない」が身体に表れます。
「聞く」というのは、船長さんが船長室を飛び出して、話し手の船長室にいくこと、という例えです。
では、なぜ「船長室」なのでしょうか?
「船長さん」でなくとも、運転手やパイロットなど、例えになりそうなものはいくつかありますが、なぜ「船長さん」なのか?
思えば「ミジンコ(直感)」でも同じような問いを立てました。
実際の船長さんがどのようなことをしているのかということは想像でしかありませんが、いくつか思いつくままに書いてみたいと思います。
まずは、頭(脳)を「船長室」に例えているということは、身体を「船」に例えているということです。
「船長室」があるような、結構大きな船。
船長さん自身が運転しているわけではなく、他に乗組員が何人もいて、その乗組員が全員ではないにしろ、船の運転をしています。
船長さんは、方向を決定したり、他の乗組員に指示出しをしたりしています。
身体と頭(脳)の関係のイメージに合います。
頭で考え判断し、身体に指示命令をするイメージです。
頭と身体の関係が、船長と船の関係に似ているため、「船長室」の例えが出てきたということは理由のひとつにあるかと思います。
船以外の乗り物では、あまりこのような例が浮かびません。
もうひとつの理由として、人生を航海に例えることがあるためではないかと思います。
人生とは、大海原を航海するようなものだという例えです。
目的地を目指し、針路を確認しつつ、途中嵐に遭うなど何が起こるかわからない航海です。
現在は安全性が高まっていますが、大航海時代ともなれば、それこそ命がけです。
新しいことが始まることを船出といったり、厳しい状況に遭うことを荒波にもまれるといったりします。
人生を航海に例えるならば、人を船に例えてもおかしくありません。
「船長室」の例えからここまで書きましたが、「船長室」や「ミジンコ」など、やぶちゃんが使う例えや比喩が「水」と関係するのも興味深いところです。
また、比喩やメタファー、アナロジーの力というものも興味があるところです。
聞けば叶う〜わもん入門
頭(脳)を「船長室」に例えて、「聞く」ことについての説明をしています。
船長室の中には「船長さん」がいて、話し手が話をするときに聞き手の船長さんが動き出すことがあります。
聞き手の船長室の中で、船長さんがわからないと思ったときは「わからない」が身体に表れます。
「聞く」というのは、船長さんが船長室を飛び出して、話し手の船長室にいくこと、という例えです。
では、なぜ「船長室」なのでしょうか?
「船長さん」でなくとも、運転手やパイロットなど、例えになりそうなものはいくつかありますが、なぜ「船長さん」なのか?
思えば「ミジンコ(直感)」でも同じような問いを立てました。
実際の船長さんがどのようなことをしているのかということは想像でしかありませんが、いくつか思いつくままに書いてみたいと思います。
まずは、頭(脳)を「船長室」に例えているということは、身体を「船」に例えているということです。
「船長室」があるような、結構大きな船。
船長さん自身が運転しているわけではなく、他に乗組員が何人もいて、その乗組員が全員ではないにしろ、船の運転をしています。
船長さんは、方向を決定したり、他の乗組員に指示出しをしたりしています。
身体と頭(脳)の関係のイメージに合います。
頭で考え判断し、身体に指示命令をするイメージです。
頭と身体の関係が、船長と船の関係に似ているため、「船長室」の例えが出てきたということは理由のひとつにあるかと思います。
船以外の乗り物では、あまりこのような例が浮かびません。
もうひとつの理由として、人生を航海に例えることがあるためではないかと思います。
人生とは、大海原を航海するようなものだという例えです。
目的地を目指し、針路を確認しつつ、途中嵐に遭うなど何が起こるかわからない航海です。
現在は安全性が高まっていますが、大航海時代ともなれば、それこそ命がけです。
新しいことが始まることを船出といったり、厳しい状況に遭うことを荒波にもまれるといったりします。
人生を航海に例えるならば、人を船に例えてもおかしくありません。
「船長室」の例えからここまで書きましたが、「船長室」や「ミジンコ」など、やぶちゃんが使う例えや比喩が「水」と関係するのも興味深いところです。
また、比喩やメタファー、アナロジーの力というものも興味があるところです。
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