黒帯心徒塾in名古屋、つねちゃんタイム「トップランナーのあり方」。
今まで「手放す」と言っていたところが、「手渡す」になりました。
あるフレーズが浮かびます。
やぶちゃんに言わせると、「違う回路に入って」いました。
違う回路から出力された言葉は、「渡したものが私になる」。
五段活用をする動詞を名詞化するときには、語末の「-u」を「-i」に換えます。
「話す」の名詞形は「話」、「聞く」の名詞形は「聞き」、「読む」ならば「読み」、「書く」ならば「書き」、など。
「手渡す」ならば「手渡し」。
「手渡す」という言葉を聞いたとき、「手渡し」という言葉が浮かびます。
「トップランナーのあり方」では、何か得たものを手放し、また次のものを得ていくことが語られていました。
新しいものを手にして、それに執着するのではなく、手放し、また次のものを手にしていくことがトップランナーの特徴であるということです。
しかし、手放すというよりは、誰かに手渡す。
何かを手に入れて、そして、それが必要と思われる人に手渡していく。
そのような話を聞くうちに、「渡す」と「私」の対が生まれ、「渡したものが私になる」となったと思います。
他者を認識することで、自己認識が生まれるといいます。
誰かほかの人がいなければ、自分という概念はないのかもしれません。
誰かに何かを渡していくこと、伝えていくことが、「私」をかたち作っている大きな要素ではないか、と考えていました。
だからこそ、聞くことは、話をされる方を輝かせるのではないか、とも。
あなたは誰に何を渡していますか。
そして、「you」を「I」に換えて、私は誰に何を渡しているだろう。
聞けば叶う〜わもん入門
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