こうして突き詰めてみると、つまりは、己を信じることが難しいために、なにかほかのものに縋ろうとする、ということだろうか。それさえ手放さず大事にしていれば、自分は救われる、と考えるのだ。自分を信じることができるならば、最初からなにもいらない。刀も神も、祈ることも縋ることも無意味だ。しかし、その域に達することができるのは、よほどの達人あるいは高僧か。
私自身、自分を信じているかと問われれば、怪しい。
信じていないわけではないけれども、100%信じているかと問われれば、NOと答えるだろう。
「信じる」というのが言行一致のことならば、言ったことをやっていないことは多々あるし、やったことでも言っていないことも多々ある。
言いたいことを言えないときもあれば、やりたいことをやっていないときもある。
かといって、なにかほかのものに縋っているかと問われれば、こちらも怪しい。
祈ることも縋ることもしていない。
自分に対しても、他人に対しても、あるいはほかのものに対しても、どれも中途半端に信じている。
ただし、100%信じていないかと問われれば、こちらもNOと答えるだろう。
自分に対しても、他人に対しても、あるいはほかのものに対しても。
信じることに100%とも何もないのかもしれない。
しかし、自分を信じよう、とすることはできる。
自分の言っていることとやっていることが一致しているかどうかは確認することができる。
まずは、自分のできるところから。
ブラッド・スクーパ - The Blood Scooper (中公文庫)
聞けば叶う〜わもん入門
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