何度か「壁打ちわもん」を見たことがあります。
「壁打ちわもん」というのは、話し手が2人(あるいは複数)、聞き手が1人。
話し手の2人をAさん、Bさんとすると、聞き手はまずAさんの話を聞き、その非言語を言語化してBさんに伝え、そしてその話を伝えたBさんの話を聞き、その話の非言語をAさんに伝え…、というのを壁打ちのように繰り返し行っていくというものです。
非言語を伝え合うことで、AさんとBさんの間にあったちょっとしたズレが解消したり、双方の理解度がよりよくなったりしていきます。
先月の萩での黒帯心徒塾で、「壁打ちわもん」を見た方の感想に、「2人の間にあったアクリル板がなくなっていったようだった」というものがありました。
ここで「アクリル板」というのは、その黒帯心徒塾の冒頭で以下のようなアクリル板の例え話があったからです。
ピラニアは獰猛な魚です。
水槽にピラニアと小魚をいっしょに入れておくと、ピラニアは小魚に襲いかかります。
そこで、ピラニアと小魚の間を透明なアクリル板で仕切ると、ピラニアは最初同じように小魚を襲おうとしますが、間のアクリル板に阻まれ、そのうちあきらめてしまいます。
その後にアクリル板を外しても、ピラニアはアクリル板があるものと思ってか、小魚に襲いかからない、という話。
カマスの例としても述べられます。
自分で限界を作っているのではないかという例え話です。
さて、この小魚を襲うのをやめてしまったピラニアを元に戻すには…。
アクリル板の存在を知らないピラニアを水槽に入れること。
アクリル板の存在を知らないピラニアが小魚を襲うのを見て、アクリル板がないことに気付き、元に戻る、とのこと。
そして、今回参加した黒帯心徒塾でも「壁打ちわもん」を見ました。
そこでは、「聞き手が絶対尊敬を話し手の2人に贈ることで、2人の間も絶対尊敬でつながり、そして終わった後でもそれが続く」というコメントがありました。
話し手2人の間に、本当は存在しないアクリル板。
聞き手は、アクリル板の存在を知らないピラニア。
アクリル板がない聞き方そして伝え方をすることで、話し手2人はアクリル板がないことに気付く、というのが「壁打ちわもん」ではないかと思っています。
とすると、壁打ちわもんができるには、話し手2人の間にアクリル板がないと思うこと。
というよりは、元々ないものなので、そんなことすら感じないでしょう。
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