「わもんな言葉」が、不定期ながら、50回を超えました。
最初は、自分が読んだ本の中で、「わもんと同じようなことを言っているな」と思って紹介したのがきっかけで書きはじめ、それが、やぶちゃんをはじめとして一部の方々に好評で、そのうち自分が読んだ本に限らず、「わもん」で語られる言葉について書きはじめて今に至っております。
今回、振り返りも兼ねて、「わもんな言葉」をテーマにしてみました。
「わもんな言葉」を書くとき意識していることは、少し違った視点から「わもん」を見てほしいということです。
押し付けるわけではありませんが、「このような考え方もある」「こんな風に思っている人もいる」ということを知ってもらいたいと思っています。
やぶちゃんが言う説明や解説をそのまま書くのは簡単ですが(いや、簡単ではありませんが…)、なるべく独自の考え方とか、あるいは突飛な例えとか、なんらかのオチをつけたりとか、そのようなことを盛り込んで書きたいと思っています。
ときには今回のように、自分以外には誰も拾わない言葉を拾ってみたり、とか。
だから、「わもんの言葉」ではなく、「わもんな言葉」です。
私は、どちらかというと、文章を書くのがニガテです。
この文章も「どんなことを書こうか」「何から話そうか」などと考えながら書いています。
そしておそらく、書き終わった後にまた見直して「変なことは書いていないだろうか」「もう少しわかりやすくするにはどうしたらいいだろうか」などと考えることでしょう。
ときには、「これでいいや」と公開することもあります(^-^;)
あ、漢字変換で「後悔」がでできた…。
それはさておき。
わもんでは、「音」や「波長」など、非言語部分を重視します。
話し手の出している音、あるいは身振りやしぐさなどに、そのときの話し手の感情などの無意識の部分がひょっこりと顔を出します。
かといって、言葉を軽視しているわけではありません。
言葉への理解はそのままに、その言葉についてくる音にも注意を向けましょう、音を入り口に話を聞いてみましょう、という提案です。
では、このブログは何のために書いているのか。
音声情報ではなく、文字情報として書き連ねている意図は何か。
わもんを通じて、音でしか伝えられない、伝わらないことがあることが多々あることを知りました。
ならば、文字として、文字でしか伝えられないことも、ある。
これを読んでいる皆さまが、「ガチ聞き」ならぬ「ガチ読み」として、この「わもんな言葉」をお読みいただければ、より深い、より輝く「わもんな言葉」となっていくと思い、これからも「わもんな言葉」を書き続けていきたいと思います。
聞けば叶う〜わもん入門
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