シューマンについても、名前は知っていますが、どのような曲を作った人なのかは知りません。
しかし、奥泉光さんの『シューマンの指』を読んで、聴いてみたくなりました。
『シューマンの指』はそのタイトルからもわかるように、ドイツの作曲家ロベルト・シューマンを題材としたミステリです。
シューマンの人物像よりは、シューマンの音楽が中心として書かれています。
シューマンの音楽を知らないのでその良し悪しはわかりませんが、『シューマンの指』を読むと、シューマンの音楽をより深く知ることができるのではないかと思いました。
中でも特に印象に残っているのは、登場人物である永嶺修人の台詞です。
「シューマンは、変ないい方だけど、彼自身が一つの楽器なんだ。分かるかな? 音楽は、彼の軀というか、意識とか心とか魂なんかもぜんぶ含んだ、シューマンという人のなかで鳴っている。だから、彼がピアノを弾いたとしても、それはシューマンのなかで鳴っている音楽の、ほんの一部分でしかないんだ」
おそらくは、音楽に限らず、小説とか、絵画とか、映画とか、何かを表現しているもの、表現しようとしているもの全てに当てはまることではないかと思います。
小説など、いわゆる作品といわれるものでなくとも、ちょっとしたしぐさや何気なく言った言葉は、その人の人物像の一部分です。
それらに「奥行き」が感じられるかどうか。
シューマンがピアノを弾いているのを聴いたとして、シューマンのなかで鳴っている音楽が聴けるかどうか。
表現する人の表現力もさることながら、その表現を見る人の読解力。
それらは技巧として現れるかもしれませんし、現れないかもしれません。
私は、文芸・音楽・芸術と呼ばれるものに関心はあるものの、まだまだ読解力不足。
では、読解力を高めるにはどうすればいいか? と考えてみると、私の中から出てきた答えは、良いものに触れること。
そう考えると、「古典」といわれるものは、長い間多くの人の目や耳にさらされ残っているものなので、まずはそこから、という気になります。
で、善は急げ、というわけで(?)、シューマンのCDを購入してみようとAmazonで検索してみたら、こんなものがありました。
術中にはまった気がしますが、購入を決めました(^-^;)
0 件のコメント:
コメントを投稿