子どもの頃、よく道草を食っていた。
お気に入りは、「イタンポ」と呼んでいた草だ。
茎を折ると、ポキッと気持ちのいい音がする。
茎の表面の皮は固いので皮をはいで食べる。
少し酸味があり、量は多く食べられない。
家に持ち帰って、塩をつけて食べることもあった。
なぜか「イタンポ」のことを思い出した。
たぶん「イタンポ」は田舎の地域での呼び方だろうと思い、標準的な名前は何だろうかとWEBで検索した。
「イタドリ」というらしい。
名前は聞いたことがある。
大きくなるうちに、道草を食うことはなくなった。
代わりに行動範囲が広がったせいか、寄り道をすることが多くなった。
2015/03/04
まだ読んでいない本の紹介
本日、買った本です。
我ながら、ジャンルがバラバラです(笑)
事前に内容を知っていて読みたいと思う本は、だいたいamazon等、WEBで注文するのですが、よく本屋さんには足を運びます。
そこでは、どんな内容なのかは知らないけれども、読みたいと思う本が見つかると奥付を見て買うことにしています。
(ちなみに奥付を見る理由は、「第1刷ならば買う」という私の勝手な基準があるためです。)
本屋さんには、自分の知らない本がたくさんあります。
そこで、自分の興味にひっかかったものには何か得るものがあると考えています。
後付けの理由となりますが、本日買った5冊の本について、内容を読まずに理由を考えたいと思います。
C・チャブリス、D・シモンズ『錯覚の科学』文春文庫
錯覚の科学 (文春文庫)
理由はわかりませんが、「錯覚」「錯視」の類は好きです。
「トリックアート」や「だまし絵」は見ていて飽きませんし、目の「錯覚」や「錯視」などのことも詳しいメカニズムは知りませんが興味があります。
日本語でのタイトルは『錯覚の科学』となっていますが、表紙には英語の原題も書かれていて『The Invisible Gorilla and other ways our intuitions deceive us』とありました。
直訳すると「見えないゴリラ、本能が我々を欺くその他の方法」でしょうか。
一時期、You Tube上で「ゴリラに気づいたか?」というような動画が流行っていたときがありました。
それに関連したタイトルだと思います。
トリックアートやだまし絵、また、手品やマジックは、物理的あるいは心理的な盲点をついて楽しませてくれます。
そして、盲点を知ることで、より楽しむことができます。
そういうことが、科学的に書かれている本だと思い手に取りました。
野中郁次郎、勝見明『イノベーションの作法』日経ビジネス人文庫
イノベーションの作法(日経ビジネス人文庫) (日経ビジネス人文庫 ブルー の 1-3)
「発想」「発明」「イノベーション」「アイデア」の話が好きです。
発想はどこから生まれるのか、どのような動機・条件があって発明がなされたのか、アイデアが生まれやすい環境とはどのような環境なのか、ということに興味を持っています。
著者の一人である野中郁次郎さんは、たしか『失敗の本質』の著者(編者?)で、経済や経営分野が専門だったと思います。
間違っていたら申し訳ありません。
日経ビジネス人文庫で出版されていることもあり、イノベーションについて、具体的事例が多数挙げられているのではないかと推察しています。
模倣するだけ、読むだけではイノベーションは生み出されないと思いますが、自分が持っている何かと合わさることで何かが生まれるかもしれないという期待があります。
本川達雄『生物多様性』中公新書
生物多様性 - 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (中公新書)
学校で、理科の科目である「生物」はほとんど勉強していないので、生物関係のことはあまりわかりません。
この本で一番興味をひいたのは副題の方です。
副題には、『「私」から考える進化・遺伝・生態系』とあり、帯には「異色の“生物学”講義!」と書かれていました。
ここでの「私」というのが著者である本川さんを指しているのか、それとも「自我」という意味で使われているのかは読んでみないと判断できませんが、「私」という人称代名詞(あるいは「個」)と、「多様性」の関係は何となく切り離せないと考えています。
それが、進化や遺伝、生態系とどうかかわるのか。
ここが現時点での読みたいポイントです。
外山滋比古『知的生活習慣』ちくま新書
知的生活習慣 (ちくま新書)
外山滋比古さんは『思考の整理学』などの本でも有名で、名前は知っており、著作も数冊ですが読んだことがあります。
内容はすぐには思い出せませんが、読みやすい文章で、おもしろい考え方も発見することができるイメージがあります。
また、私が影響を受けた本の一冊に、渡部昇一さんの『知的生活の方法』という本があり、『知的生活習慣』と『知的生活の方法』がリンクしました。
渡辺昇一さんの『知的生活の方法』から影響を受けたことで最も大きいことが、本をよく読むようになったことです。
『知的生活習慣』の方は、購入後に読み始めて数ページ読んでいるので「内容を読まずに」とは言えませんが、何か新しい習慣を始めるきっかけになればと思います。
ボビー・ジョーンズ『ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄』ちくま文庫
ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄 (ちくま文庫)
ゴルフをしたことはありませんし、これからする予定もありませんが、「わもん」の中でゴルフが話題になっていること、そして、その中で「球聖ボビー・ジョーンズ」の名前が出たことがあることから興味を持った一冊です。
ゴルフの技術などの解説本ならば購入まではいかなかったと思いますが、タイトルの中には「ゴルフの神髄」とあり、裏表紙の概要には「ゴルフに求められるものは、技術だけでなく、すべてを自分で判断し、すべての結果を受け入れる精神面の強さ、態度なのだとよくわかる一冊」とあったため、ゴルフ以外にも通用するものがあるだろうと当たりをつけています。
「すべてを自分で判断し、すべての結果を受け入れる」というところが魅かれます。
再度書きますが、まだ読んでいませんのであしからず。
我ながら、ジャンルがバラバラです(笑)
事前に内容を知っていて読みたいと思う本は、だいたいamazon等、WEBで注文するのですが、よく本屋さんには足を運びます。
そこでは、どんな内容なのかは知らないけれども、読みたいと思う本が見つかると奥付を見て買うことにしています。
(ちなみに奥付を見る理由は、「第1刷ならば買う」という私の勝手な基準があるためです。)
本屋さんには、自分の知らない本がたくさんあります。
そこで、自分の興味にひっかかったものには何か得るものがあると考えています。
後付けの理由となりますが、本日買った5冊の本について、内容を読まずに理由を考えたいと思います。
- C・チャブリス、D・シモンズ『錯覚の科学』文春文庫
- 野中郁次郎、勝見明『イノベーションの作法』日経ビジネス人文庫
- 本川達雄『生物多様性』中公新書
- 外山滋比古『知的生活習慣』ちくま新書
- ボビー・ジョーンズ『ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄』ちくま文庫
C・チャブリス、D・シモンズ『錯覚の科学』文春文庫
錯覚の科学 (文春文庫)
理由はわかりませんが、「錯覚」「錯視」の類は好きです。
「トリックアート」や「だまし絵」は見ていて飽きませんし、目の「錯覚」や「錯視」などのことも詳しいメカニズムは知りませんが興味があります。
日本語でのタイトルは『錯覚の科学』となっていますが、表紙には英語の原題も書かれていて『The Invisible Gorilla and other ways our intuitions deceive us』とありました。
直訳すると「見えないゴリラ、本能が我々を欺くその他の方法」でしょうか。
一時期、You Tube上で「ゴリラに気づいたか?」というような動画が流行っていたときがありました。
それに関連したタイトルだと思います。
トリックアートやだまし絵、また、手品やマジックは、物理的あるいは心理的な盲点をついて楽しませてくれます。
そして、盲点を知ることで、より楽しむことができます。
そういうことが、科学的に書かれている本だと思い手に取りました。
野中郁次郎、勝見明『イノベーションの作法』日経ビジネス人文庫
イノベーションの作法(日経ビジネス人文庫) (日経ビジネス人文庫 ブルー の 1-3)
「発想」「発明」「イノベーション」「アイデア」の話が好きです。
発想はどこから生まれるのか、どのような動機・条件があって発明がなされたのか、アイデアが生まれやすい環境とはどのような環境なのか、ということに興味を持っています。
著者の一人である野中郁次郎さんは、たしか『失敗の本質』の著者(編者?)で、経済や経営分野が専門だったと思います。
間違っていたら申し訳ありません。
日経ビジネス人文庫で出版されていることもあり、イノベーションについて、具体的事例が多数挙げられているのではないかと推察しています。
模倣するだけ、読むだけではイノベーションは生み出されないと思いますが、自分が持っている何かと合わさることで何かが生まれるかもしれないという期待があります。
本川達雄『生物多様性』中公新書
生物多様性 - 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (中公新書)
学校で、理科の科目である「生物」はほとんど勉強していないので、生物関係のことはあまりわかりません。
この本で一番興味をひいたのは副題の方です。
副題には、『「私」から考える進化・遺伝・生態系』とあり、帯には「異色の“生物学”講義!」と書かれていました。
ここでの「私」というのが著者である本川さんを指しているのか、それとも「自我」という意味で使われているのかは読んでみないと判断できませんが、「私」という人称代名詞(あるいは「個」)と、「多様性」の関係は何となく切り離せないと考えています。
それが、進化や遺伝、生態系とどうかかわるのか。
ここが現時点での読みたいポイントです。
外山滋比古『知的生活習慣』ちくま新書
知的生活習慣 (ちくま新書)
外山滋比古さんは『思考の整理学』などの本でも有名で、名前は知っており、著作も数冊ですが読んだことがあります。
内容はすぐには思い出せませんが、読みやすい文章で、おもしろい考え方も発見することができるイメージがあります。
また、私が影響を受けた本の一冊に、渡部昇一さんの『知的生活の方法』という本があり、『知的生活習慣』と『知的生活の方法』がリンクしました。
渡辺昇一さんの『知的生活の方法』から影響を受けたことで最も大きいことが、本をよく読むようになったことです。
『知的生活習慣』の方は、購入後に読み始めて数ページ読んでいるので「内容を読まずに」とは言えませんが、何か新しい習慣を始めるきっかけになればと思います。
ボビー・ジョーンズ『ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄』ちくま文庫
ボビー・ジョーンズ ゴルフの神髄 (ちくま文庫)
ゴルフをしたことはありませんし、これからする予定もありませんが、「わもん」の中でゴルフが話題になっていること、そして、その中で「球聖ボビー・ジョーンズ」の名前が出たことがあることから興味を持った一冊です。
ゴルフの技術などの解説本ならば購入まではいかなかったと思いますが、タイトルの中には「ゴルフの神髄」とあり、裏表紙の概要には「ゴルフに求められるものは、技術だけでなく、すべてを自分で判断し、すべての結果を受け入れる精神面の強さ、態度なのだとよくわかる一冊」とあったため、ゴルフ以外にも通用するものがあるだろうと当たりをつけています。
「すべてを自分で判断し、すべての結果を受け入れる」というところが魅かれます。
再度書きますが、まだ読んでいませんのであしからず。
2015/02/18
「~しなければならない」から抜け出す方法
勉強しなければならない。
本を読まねばならない。
時間を有効に使わなければならない。
「~しなければならない」という言葉を聞くことがよくあります。
そして、ときにはその「~しなければならない」に縛られて、窮屈な思いを抱くこともあります。
ここでは、その「~しなければならない」という言葉から抜け出す方法のひとつを提案してみたいと思います。
「~しなければならない」という言葉は、省略されているように感じます。
「~しなければならない」を分解すると、「~しなければ、成らない」だと思います。
○○しなければ、成果がでないという意味です。
ならば成果は何か?
「~しなければならない」というときには、成果・目的が隠されています。
なので、その成果・目的に目を向けようというのがここでの提案です。
たとえば、「勉強しなければならない」ならば、なぜ勉強をしなければならないのか、ということです。
「勉強しなければならない」ならば、「勉強しなければ、何にならない」のか?
それは、「勉強しなければ立派な大人になれない」なのかもしれません。
ならば、「立派な大人」とはどういう大人なのか、そしてどのような大人になりたいのか。
このように考えてみるのです。
このように考えると、立派な大人になるという目的があり、勉強するというのはひとつの手段となります。
勉強するという方法以外にも、立派な大人になることができる方法があるかもしれないという視点が生まれます。
「~しなければならない」というときの「~(する)」はひとつの手段です。
手段ならばほかにもあるかもしれません。
ひょっとすると、「~しなければならない」というそれが一番いい手段の可能性もあります。
唯一の手段である可能性もあります。
しかし、それを選択するかどうかを決めるのは自分です。
そしてその選択の基準も自分自身の中にあると思います。
「~しなければならない(have to~)」から「~したい(want to~)」に変わるきっかけとして、このような方法を考えてみました。
本を読まねばならない。
時間を有効に使わなければならない。
「~しなければならない」という言葉を聞くことがよくあります。
そして、ときにはその「~しなければならない」に縛られて、窮屈な思いを抱くこともあります。
ここでは、その「~しなければならない」という言葉から抜け出す方法のひとつを提案してみたいと思います。
「~しなければならない」という言葉は、省略されているように感じます。
「~しなければならない」を分解すると、「~しなければ、成らない」だと思います。
○○しなければ、成果がでないという意味です。
ならば成果は何か?
「~しなければならない」というときには、成果・目的が隠されています。
なので、その成果・目的に目を向けようというのがここでの提案です。
たとえば、「勉強しなければならない」ならば、なぜ勉強をしなければならないのか、ということです。
「勉強しなければならない」ならば、「勉強しなければ、何にならない」のか?
それは、「勉強しなければ立派な大人になれない」なのかもしれません。
ならば、「立派な大人」とはどういう大人なのか、そしてどのような大人になりたいのか。
このように考えてみるのです。
このように考えると、立派な大人になるという目的があり、勉強するというのはひとつの手段となります。
勉強するという方法以外にも、立派な大人になることができる方法があるかもしれないという視点が生まれます。
「~しなければならない」というときの「~(する)」はひとつの手段です。
手段ならばほかにもあるかもしれません。
ひょっとすると、「~しなければならない」というそれが一番いい手段の可能性もあります。
唯一の手段である可能性もあります。
しかし、それを選択するかどうかを決めるのは自分です。
そしてその選択の基準も自分自身の中にあると思います。
「~しなければならない(have to~)」から「~したい(want to~)」に変わるきっかけとして、このような方法を考えてみました。
2015/02/17
文化の文化
ふとした思いつきから、「文化」の語源を調べてみました。
調べたといっても、WEB上で検索して、サイトを読みまわったというだけです。
WEBで検索した結果は、
どちらが正しいのかはわかりませんが、どちらかというと「文治教化」の略の方がふさわしいように思います。
「文明開化」というのは語源が結構はっきりしているようで、福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年、明治8年)でcivilizationの訳語として使ったのが始まりだとされています。
現代では、civilizationと聞くと、訳語として「文明」という語が当てられるのが多いですね。
一方、「文化」という訳語が当てられるのは、cultureです。
おそらくは、civilizationもcultureも文明開化の時期、すなわち開国後~明治時代初期に外国語として入ってきたと思います。
そこで、civilizationには「文明開化」を当てて、cultureに文明開化を略した「文化」を当てるのには何となく違和感があります。
もちろんcivilizationには、今日でいう「文化」というような意味も含まれているので、「文明開化→文化」という流れもわからなくはないですが、もしそうであるならばcivilizationの訳語に「文明」「文化」の両方を当てて、cultureには別の訳語を当てるのではないかと思います。
「文治教化」というのは、「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という漢語です。
「文治教化」の略として「文化」。
中国の古典『説苑』に「文化して改めざれば、しかるのち誅を加う」という言葉が載っているようです(『説苑』は未確認)。
「武化」の対義語としての「文化」とのこと。
「文武両道」という言葉もありますね。
この「文化」という漢語が日本に伝わり、cultureの訳語となったという方が、流れとしてはふさわしく思います。
また、江戸時代には「文化」という元号があります。
「文化」の後は「文政」と続き、日本史の教科書では、文化・文政時代の町民文化は「化政文化」と称されています。
文化時代は1804年(文化元年)~1818年(文化15年)までです。
当然、明治時代よりも前に「文化」という語はあった、ということになります。
そのため、ここでは、「文化」というのは「文治教化」の略だということで進めていきます。
「文治教化」というのは、先にも書いたように「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という意味です。
しかし、現在「文化」というときには、このような意味を思い浮かべることはありません。
Wikipediaの「文化」の項には、「総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである」と書いています。
「文治教化」での意味は、何となくトップダウンのような雰囲気がありますが、「文化」という場合は、ボトムアップのようなイメージです。
英語のcultureの訳語になったからそうなったのかもしれません。
しかし、ちょっとひねくれた考え方かもしれませんが、江戸時代の化政文化のイメージがあったのではないか、とも思えます。
もちろん「化政文化」というのは後々に付けた名称だと思いますが、「化政文化」は江戸を中心として町人・庶民から栄えた文化です。
「化政文化」の前には、上方を中心にして「元禄文化」と呼ばれる文化があり、こちらも町人・庶民から栄えています。
「元禄文化」「化政文化」という名称がいつ頃どのように付けられたのかは知りませんが、cultureの訳語を考えていた人が「江戸の文化時代のようなものがcultureだと思う」などと考えていたのではないか、というような想像をしています。
現在の視点から考えると、「文」という文字には「学問」の意味の他に、「模様、紋様」のような意味もある(「文」を「あや」と読めばわかりやすい)ので、「文化」というのは、埋もれていた生活習慣とか価値観、パターンが現れてきた、変化してきたものと考えるのが普通だとは思いますが。
調べたといっても、WEB上で検索して、サイトを読みまわったというだけです。
WEBで検索した結果は、
- 「文明開化」の略である
- 「文治教化」の略である
どちらが正しいのかはわかりませんが、どちらかというと「文治教化」の略の方がふさわしいように思います。
「文明開化」というのは語源が結構はっきりしているようで、福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年、明治8年)でcivilizationの訳語として使ったのが始まりだとされています。
現代では、civilizationと聞くと、訳語として「文明」という語が当てられるのが多いですね。
一方、「文化」という訳語が当てられるのは、cultureです。
おそらくは、civilizationもcultureも文明開化の時期、すなわち開国後~明治時代初期に外国語として入ってきたと思います。
そこで、civilizationには「文明開化」を当てて、cultureに文明開化を略した「文化」を当てるのには何となく違和感があります。
もちろんcivilizationには、今日でいう「文化」というような意味も含まれているので、「文明開化→文化」という流れもわからなくはないですが、もしそうであるならばcivilizationの訳語に「文明」「文化」の両方を当てて、cultureには別の訳語を当てるのではないかと思います。
「文治教化」というのは、「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という漢語です。
「文治教化」の略として「文化」。
中国の古典『説苑』に「文化して改めざれば、しかるのち誅を加う」という言葉が載っているようです(『説苑』は未確認)。
「武化」の対義語としての「文化」とのこと。
「文武両道」という言葉もありますね。
この「文化」という漢語が日本に伝わり、cultureの訳語となったという方が、流れとしてはふさわしく思います。
また、江戸時代には「文化」という元号があります。
「文化」の後は「文政」と続き、日本史の教科書では、文化・文政時代の町民文化は「化政文化」と称されています。
文化時代は1804年(文化元年)~1818年(文化15年)までです。
当然、明治時代よりも前に「文化」という語はあった、ということになります。
そのため、ここでは、「文化」というのは「文治教化」の略だということで進めていきます。
「文治教化」というのは、先にも書いたように「刑罰や威力ではなく学問の力で教え導く」という意味です。
しかし、現在「文化」というときには、このような意味を思い浮かべることはありません。
Wikipediaの「文化」の項には、「総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである」と書いています。
「文治教化」での意味は、何となくトップダウンのような雰囲気がありますが、「文化」という場合は、ボトムアップのようなイメージです。
英語のcultureの訳語になったからそうなったのかもしれません。
しかし、ちょっとひねくれた考え方かもしれませんが、江戸時代の化政文化のイメージがあったのではないか、とも思えます。
もちろん「化政文化」というのは後々に付けた名称だと思いますが、「化政文化」は江戸を中心として町人・庶民から栄えた文化です。
「化政文化」の前には、上方を中心にして「元禄文化」と呼ばれる文化があり、こちらも町人・庶民から栄えています。
「元禄文化」「化政文化」という名称がいつ頃どのように付けられたのかは知りませんが、cultureの訳語を考えていた人が「江戸の文化時代のようなものがcultureだと思う」などと考えていたのではないか、というような想像をしています。
現在の視点から考えると、「文」という文字には「学問」の意味の他に、「模様、紋様」のような意味もある(「文」を「あや」と読めばわかりやすい)ので、「文化」というのは、埋もれていた生活習慣とか価値観、パターンが現れてきた、変化してきたものと考えるのが普通だとは思いますが。
2015/02/08
ピタゴラスの定理
阿刀田高さんの『アイデアを捜せ』という本を読んでいると、次の文章に出くわした。
――ピタゴラスの定理をもとに小説を創ってみるとおもしろいかもしれない。
小説とは言えないまでも、ブログ記事を書くことくらいならばできるかもしれない。
そう思って書きはじめた。
斜辺の長さをc、残り2辺の長さをそれぞれa、bとすると、
別名「三平方の定理」ともいう。
話によると、ピタゴラスが発見したわけではないようだが、なぜか「ピタゴラスの定理」と呼ばれている。
古代ギリシアの数学者・哲学者のピタゴラスを中心としたピタゴラス教団では、線は点を有限個あつめたものだという認識があり、無理数の存在を認めていなかった。
しかし、ピタゴラスの定理が発見されると、どうしても無理数が存在するように思えてくる。
一辺の長さが1である正方形の対角線の長さは、現代ならば√2であると表現することができるが、無理数を認めていなければ、対角線の長さを表現できない。
ピタゴラスの定理が発見されたことで、ピタゴラス教団は無理数と向き合わなければならなかった。
というよりは、排除しようとしたといった方がいいかもしれない。
一説によると、無理数の存在を否定するあまりに、無理数についての口外を避けるため仲間を溺死させたという話がある。
ブログ記事になるだろうか、と。
仲間は一言、「無理があるな」と言った。
ピタゴラスの定理でブログを書いたことで、私は無理と向き合わなければならなかった。
というよりは、排除しようとしたといった方がいいかもしれない。
一説によると、「無理」と否定されるあまりに、仲間を溺死させたという話がある。
(念のため、フィクションです。)
アイデアを捜せ (文春文庫)
ありていに言えば、このアイデアはまことにすばらしいしろものだが、小説化が極端にむつかしい。ピタゴラスの定理をもとに小説を創ってみろ、と言われるようなものである。この文章を読んだとき、阿刀田さんの表現を借りて言うと、私の「猫の耳が立った」。
――ピタゴラスの定理をもとに小説を創ってみるとおもしろいかもしれない。
小説とは言えないまでも、ブログ記事を書くことくらいならばできるかもしれない。
そう思って書きはじめた。
*****「ピタゴラスの定理」というのは、直角三角形の性質を表す等式で、斜辺の長さの2乗が、残り2辺の長さをそれぞれ2乗して、それさを足し合わせたものに等しいという等式だ。
斜辺の長さをc、残り2辺の長さをそれぞれa、bとすると、
a2 + b2 = c2と表すことができる。
別名「三平方の定理」ともいう。
話によると、ピタゴラスが発見したわけではないようだが、なぜか「ピタゴラスの定理」と呼ばれている。
古代ギリシアの数学者・哲学者のピタゴラスを中心としたピタゴラス教団では、線は点を有限個あつめたものだという認識があり、無理数の存在を認めていなかった。
しかし、ピタゴラスの定理が発見されると、どうしても無理数が存在するように思えてくる。
一辺の長さが1である正方形の対角線の長さは、現代ならば√2であると表現することができるが、無理数を認めていなければ、対角線の長さを表現できない。
ピタゴラスの定理が発見されたことで、ピタゴラス教団は無理数と向き合わなければならなかった。
というよりは、排除しようとしたといった方がいいかもしれない。
一説によると、無理数の存在を否定するあまりに、無理数についての口外を避けるため仲間を溺死させたという話がある。
*****ここまで書いたところで、仲間に読んでもらった。
ブログ記事になるだろうか、と。
仲間は一言、「無理があるな」と言った。
ピタゴラスの定理でブログを書いたことで、私は無理と向き合わなければならなかった。
というよりは、排除しようとしたといった方がいいかもしれない。
一説によると、「無理」と否定されるあまりに、仲間を溺死させたという話がある。
(念のため、フィクションです。)
アイデアを捜せ (文春文庫)
2015/01/05
2014年の振り返りと2015年の目標
年末にすべきことかもしれませんが、昨年の振り返りと、今年の目標についてです。
2014年の目標は以下の3つ(「2013年の振り返りと2014年の目標」参照)。
まずは、結果と自己評価です。
【マラソン】
2014年中、フルマラソンの大会に出場した回数は2回。
3月の「大阪42.195kmフルマラソン大会」と、10月の「大阪マラソン」です。
3月「大阪42.195kmフルマラソン大会」は、リタイア。
10月「大阪マラソン」は、歩きつつも完走。
大阪マラソンの記録は5時間48分(ネットタイム:5時間37分)で、自己ベストならず。
目標に対する結果としては×ですが、倍率の高い大阪マラソンに抽選で当たり、歩きつつもゴールできたことは嬉しく思います。
【笑顔のコーチング】
目標として挙げておきながらほとんど活動しておらず、11月1日の夢の日に実施した「夢の日コーチングワークショップ」の1回のみ。
「夢の日コーチングワークショップ」は「笑顔のコーチング」とは異なる内容ですが、ハロードリーム関係のイベントとして1回に数えています。
3回の実施はしておらず、結果は×。
参加人数も25人には達しておりません。
【わもん】
2014年初めに年内名人宣言をしており、2月には四段となり幸先よくスタートしましたが、五段には至りませんでした。
ですが、目標設定をした3つの項目の内、一番活動したのが「わもん」となります。
結果としては×ですが、実り多い一年でした。
【総評】
昨年年初の目標は全く達成できておりませんが、2014年は動きの多い一年でした。
特に大きかったことは、十数年勤めていた会社を辞めたことです。
昨年の今頃は、そろそろ退職してもいい頃かも、という思いでした。
しかし、昨年1月に参加した本間先生のグループコーチングをきっかけに、「わもん」で年内名人宣言をし、それならば、と退職の時期を設定し、…など、周りの環境が動かないと大きな動きをしない私が、自ら動くことが多い一年でした。
また、目標には掲げていませんが、このブログで掲載している「わもんな言葉」が100項目に達し、素敵な本となりました(詳細は別に記載したいと思います)。
反省するべきところは多々ありますが、2014年は非常に意味のある節目の年になったと思います。
さて、これらも踏まえて今年2015年の目標設定です。
まずは、仕事について。
「わもん」を軸とした活動をおこなっていく予定ですが、現在、職業としては「無職」の状態です。
したがって、収入面を考える必要があります。
このブログは「Off the Job Training」というタイトルが示す通り、仕事以外のことを中心に書いてきましたので、目標設定も仕事以外のことを書いていました。
会社を辞める前からタイトルを変えるか、別のブログを立ち上げるかしようと考えていましたが、まだ手つかずの状態。
現時点では、このブログはそのまま残す予定で、仕事については別のブログを立ち上げようと思っています。
そのため、今回は仕事面の具体的な目標はここには挙げません。
しかし、それでは寂しいので、仕事について抽象的な目標として「2015年の年末には、仕事が軌道に乗っている」というものを挙げておきます。
仕事以外の目標は、これまでも続けてきた「マラソン」と「笑顔のコーチング」について、です。
マラソンは、自己ベスト更新もさることながら、達成したいことは「歩かずに本当の意味での完走」です。
現在の自己ベストは4時間39分ですが、このときも歩いています。
歩かずに完走できれば、自己ベストもついてくると考えています。
「笑顔のコーチング」については、開催しようとしなければ開催しないものなので、今年は参加者人数の目標設定は外して、開催実績を目標に据えたいと思います。
定期的に実施していきたいですが、昨年は1回という実績なので、回数は昨年と同様にして、定期的にという意味を込めて、4ヶ月に1回を今年の目標にします。
11月1日の夢の日(もしくはその前後の夢の日ウィークス)には実施したいので、時期として、3月・7月・11月に実施を、今、思いました。
3月ならば、もう動かないと…。
【2015年の目標まとめ】
2014年の目標は以下の3つ(「2013年の振り返りと2014年の目標」参照)。
- フルマラソンで4時間半を切り、自己ベスト更新。
- 笑顔のコーチングを3回以上開催し、参加者延べ25人以上。
- わもんで年内に名人になる。
まずは、結果と自己評価です。
【マラソン】
2014年中、フルマラソンの大会に出場した回数は2回。
3月の「大阪42.195kmフルマラソン大会」と、10月の「大阪マラソン」です。
3月「大阪42.195kmフルマラソン大会」は、リタイア。
10月「大阪マラソン」は、歩きつつも完走。
大阪マラソンの記録は5時間48分(ネットタイム:5時間37分)で、自己ベストならず。
目標に対する結果としては×ですが、倍率の高い大阪マラソンに抽選で当たり、歩きつつもゴールできたことは嬉しく思います。
【笑顔のコーチング】
目標として挙げておきながらほとんど活動しておらず、11月1日の夢の日に実施した「夢の日コーチングワークショップ」の1回のみ。
「夢の日コーチングワークショップ」は「笑顔のコーチング」とは異なる内容ですが、ハロードリーム関係のイベントとして1回に数えています。
3回の実施はしておらず、結果は×。
参加人数も25人には達しておりません。
【わもん】
2014年初めに年内名人宣言をしており、2月には四段となり幸先よくスタートしましたが、五段には至りませんでした。
ですが、目標設定をした3つの項目の内、一番活動したのが「わもん」となります。
結果としては×ですが、実り多い一年でした。
【総評】
昨年年初の目標は全く達成できておりませんが、2014年は動きの多い一年でした。
特に大きかったことは、十数年勤めていた会社を辞めたことです。
昨年の今頃は、そろそろ退職してもいい頃かも、という思いでした。
しかし、昨年1月に参加した本間先生のグループコーチングをきっかけに、「わもん」で年内名人宣言をし、それならば、と退職の時期を設定し、…など、周りの環境が動かないと大きな動きをしない私が、自ら動くことが多い一年でした。
また、目標には掲げていませんが、このブログで掲載している「わもんな言葉」が100項目に達し、素敵な本となりました(詳細は別に記載したいと思います)。
反省するべきところは多々ありますが、2014年は非常に意味のある節目の年になったと思います。
さて、これらも踏まえて今年2015年の目標設定です。
まずは、仕事について。
「わもん」を軸とした活動をおこなっていく予定ですが、現在、職業としては「無職」の状態です。
したがって、収入面を考える必要があります。
このブログは「Off the Job Training」というタイトルが示す通り、仕事以外のことを中心に書いてきましたので、目標設定も仕事以外のことを書いていました。
会社を辞める前からタイトルを変えるか、別のブログを立ち上げるかしようと考えていましたが、まだ手つかずの状態。
現時点では、このブログはそのまま残す予定で、仕事については別のブログを立ち上げようと思っています。
そのため、今回は仕事面の具体的な目標はここには挙げません。
しかし、それでは寂しいので、仕事について抽象的な目標として「2015年の年末には、仕事が軌道に乗っている」というものを挙げておきます。
仕事以外の目標は、これまでも続けてきた「マラソン」と「笑顔のコーチング」について、です。
マラソンは、自己ベスト更新もさることながら、達成したいことは「歩かずに本当の意味での完走」です。
現在の自己ベストは4時間39分ですが、このときも歩いています。
歩かずに完走できれば、自己ベストもついてくると考えています。
「笑顔のコーチング」については、開催しようとしなければ開催しないものなので、今年は参加者人数の目標設定は外して、開催実績を目標に据えたいと思います。
定期的に実施していきたいですが、昨年は1回という実績なので、回数は昨年と同様にして、定期的にという意味を込めて、4ヶ月に1回を今年の目標にします。
11月1日の夢の日(もしくはその前後の夢の日ウィークス)には実施したいので、時期として、3月・7月・11月に実施を、今、思いました。
3月ならば、もう動かないと…。
【2015年の目標まとめ】
- 2015年の年末には、仕事が軌道に乗っている。
- フルマラソンを歩かずに完走する
- 笑顔のコーチングを年3回(4ヶ月に1回)実施する。
登録:
投稿 (Atom)