現在、1~9までありますが、待っていたかのように増えていなかった(!?)、「わもんな言葉10」です。
放送室の「わもんなことば」では、日めくりカレンダーの中の言葉のうちの2つ、「理想像に視点変化」と「命を聞く」について語られています。
そのうちの1つ、「理想像に視点変化」を聞いたときに頭に浮かんだのが、夏目漱石『夢十夜』の「第6夜」です。
護国寺の山門で、運慶が仁王を彫っています。
その刃の入れ方は、如何にも無遠慮ですが、少しも疑念を挟んでいないように見えた自分(主人公)が、「能くああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻が出来るものだな」と感心してつぶやくと、近くの若い男がこういいました。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」
初めて『夢十夜』を読んだのは、中学生か高校生の国語の教科書です。
10話すべては載っていませんでしたが、「第六夜」は載っていました。
この運慶の話が一番好きでした。
そして、大学に入ってから文庫本を買い、読みましたが、やはり「第六夜」が一番好きでした。
ちなみに夏目漱石の作品は、この『夢十夜』(と文庫本に所収の『文鳥』『永日小品』)と、『吾輩は猫である』しか読んだことはありません…。
大学を卒業し働きはじめてから、コーチングのことを知り、勉強をし始めたころ、たしか本間先生の本だったと思うのですが、コーチングのたとえ話として、この「第六夜」の話が出てきました。
本間先生の本を数冊、該当の個所がどこにあったか探してみたのですが、見つからず…m(_ _)m
ツイッターを始めたのは2010年の秋くらいで、本間先生をフォローして、そこから「笑顔のコーチング」のことを知り、やぶちゃんのことも知り、「わもん」のことを知り、と現在に至っております。
私自身の「コーチング」そして「わもん」の理想像は、この運慶のようになりたいというものです。
先はまだ長いと思いますが、目指していきたいと思います。
『夢十夜』の本の紹介をするためにブクログを開いたところ、同じようなことを書いているのに驚きました(笑)
中学生か高校生のときの国語の教科書に載っていた。『夢十夜』のうち、第何夜が載っていたのかは定かではないが、「第6夜」が載っていたことは覚えている。
「第6夜」の中での、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」という科白が忘れられなかった。
運慶のようになりたかったし、今でもなりたいと思っている。
「第6夜」の中での、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」という科白が忘れられなかった。
運慶のようになりたかったし、今でもなりたいと思っている。
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