孟子の「助長」の話を書いたので、似たような話も書いておこう。
柳宗元の「種樹郭橐駝伝」での話である。原典は読んだことはないが、松本肇『故事成語の知恵』(日経プレミアムシリーズ)と、森三樹三郎『老子・荘子』に概要が載っていた。孫引きのようなものである。
「橐駝(たくだ)」とは「駱駝(らくだ)」のことらしい。植木屋の郭さんは背中が曲がっていて駱駝に似ているところから、駱駝の郭さんと呼ばれていた。郭さんは植木の名人で、その植えた木は枯れず、よく茂り、よく実をつけたので人気があった。
あるとき柳宗元が郭さんに植木の秘訣を尋ねたところ、次のように答えた。
「秘訣というのはありません。ただ樹木の自然の性にしたがっているだけです」と。
植木というものは、木の根が広がり、土が平均にゆきわたり、古土が落ちず、木が倒れないくらいに土を固めておくことが必要とされる。その条件を整えさえすれば、あとは動かしたり揺すったりする必要はない。木の求めるようにするだけで、余計なことをしないだけだという。
木の成長を早めたり、よく実をつけさせたりすることはできず、成長を妨害しないようにするだけである。木は自然に成長する。
しかし、他の植木屋を見ていると、心配しすぎている。爪で引っかいて枯れていないか調べたり、根を揺すって土に隙間がないか確かめたり。木を大事にしているようだが、かえって危害を加えている、と。
『孟子』のたとえでも、この植木の名人の話でも、環境を整えることは大切ではあるが、作物(植木)自体には何もしていない。直接引っぱったり、揺すったりすることはしていない。
植物を育てるのと人を育てるのではやり方は違うかもしれないが、その育てる対象の特徴・性格を知り、それに合わせた環境を整えることは共通していると思う。
2017/04/05
2017/04/04
心に忘るることなかれ、助けて長ぜしむることなかれ
『孟子』公孫丑上に以下の話が載っている。「助長」の語源ともいわれている話である。(小林勝人訳『孟子(上)』岩波文庫より)
この話が、実際にあった話であるのか、それとも作り話であるのかはわからないが、『孟子』の中ではたとえ話として出てくる。もしかすると、『孟子』のたとえ話のために、「助長」に否定的な意味が付されたのかもしれない。
孟子は「浩然の気」を養うことを説明するために、上記のたとえ話を挙げた。先ほどの引用箇所の続きは以下である。
「浩然の気」とは何かということはさておき、作物の育て方については当たり前のことを言っている。
無益なこととして見向きもせず、草取りもしないようでは作物は育たないし、早く早くとあせって苗を引っぱるようなことをしては作物にとって害になってしまう。目をかけて育てるが無理をしてはいけないということである。
心に忘るることなかれ。
助けて長ぜしむることなかれ。
これは人の育て方でもいえる。
むかし宋の国のある百姓が、苗の成長がおくれているのを心配して、なんとか早めたいものと一本一本引っぱってやった。グッタリ疲れきって家にかえるなり、『ああ、今日は疲れたわい。苗をみんな引きのばしてやったものだから』と家のものに話したので、息子が〔変に思って〕いそいで田圃へかけつけて見たら、苗はすっかり枯れていたとのことだ。世間にはこうした馬鹿げたことをするものが少なくない。
この話が、実際にあった話であるのか、それとも作り話であるのかはわからないが、『孟子』の中ではたとえ話として出てくる。もしかすると、『孟子』のたとえ話のために、「助長」に否定的な意味が付されたのかもしれない。
孟子は「浩然の気」を養うことを説明するために、上記のたとえ話を挙げた。先ほどの引用箇所の続きは以下である。
浩然の気を養うなどとは無益なことだとして〔告子のように〕見向きもしないのは、田圃の草取りをしないようなものだし、また浩然の気を養うことは大切だと知っていても〔北宮黝や孟施舎のように〕早く早くとあせって助長しようとするのは、苗を引っぱるようなものだ。こういうことは無益なばかりか、かえって害になるばかりだ。
「浩然の気」とは何かということはさておき、作物の育て方については当たり前のことを言っている。
無益なこととして見向きもせず、草取りもしないようでは作物は育たないし、早く早くとあせって苗を引っぱるようなことをしては作物にとって害になってしまう。目をかけて育てるが無理をしてはいけないということである。
心に忘るることなかれ。
助けて長ぜしむることなかれ。
これは人の育て方でもいえる。
2017/04/03
【メモ】ホウレンソウ関連記事
最近、ほうれん草のことについて考えていたので、ほうれん草や野菜関連の記事が目に止まった。メモとして書いているので、大したことは書いていない。
ひとつはGIZMODEの「ホウレンソウが人間の心臓になっちゃう!?」という記事である。
ほうれん草の葉脈を血管として利用し、心臓組織の修復に役立てようという技術で、実用化にはまだ至っていないが実験は成功したとのこと。
食べるのではないほうれん草の活用法のひとつとしてリンクを残しておく。
もうひとつは、日経ビジネスONLINEの「最強の植物工場は「手づくり」で完成させた」という記事である。こちらはほうれん草ではなく、植物工場の記事である。
畑で栽培ではなく、工場でレタスを栽培する。従来の植物工場はコストがかかり黒字化できないことが多かったが、この記事で紹介されている工場では黒字化できたということである。
安定的に育てるためには、環境を整えることが大切である。その難しさと具体例が載っている。
ひとつはGIZMODEの「ホウレンソウが人間の心臓になっちゃう!?」という記事である。
ほうれん草の葉脈を血管として利用し、心臓組織の修復に役立てようという技術で、実用化にはまだ至っていないが実験は成功したとのこと。
食べるのではないほうれん草の活用法のひとつとしてリンクを残しておく。
もうひとつは、日経ビジネスONLINEの「最強の植物工場は「手づくり」で完成させた」という記事である。こちらはほうれん草ではなく、植物工場の記事である。
畑で栽培ではなく、工場でレタスを栽培する。従来の植物工場はコストがかかり黒字化できないことが多かったが、この記事で紹介されている工場では黒字化できたということである。
工場が本格稼働したのは2008年はじめ。「光、温度、湿度、空調、溶液など栽培環境の各要素をどう組み合わせるかというノウハウが重要。ハードだけそろえても、うまくいかない」。スプレッドの稲田信二社長に黒字化できたわけを聞くと、真っ先にそう答えた。
安定的に育てるためには、環境を整えることが大切である。その難しさと具体例が載っている。
2017/04/02
文化とあり方
ほうれん草が畑で育つならば、報連相は文化で育つのではないか。これをもう少し掘り下げていきたい。
畑を耕すことで、ほうれん草が成長しやすくなる。土をやわらかくすることで、芽が出やすく根が伸びやすくなる。
ここからいくつかの疑問が出てくる。文化を耕すとはどういうことか。土にあたるもの(あるいは、こと)は何か。報連相における芽や根は何に当たるか。
考えなくてもいいような疑問ではあるが、考えてみたい。
そもそも、文化とは何かということも考えておこう。
手元の国語辞典で「文化」を引くと、以下の意味が載っていた。
①ひらけない状態から、技術が進み生活が便利になり、また程度が高くなる状態。
②進歩・向上をはかる、人間の精神的ないとなみ(によって作り出されたもの)。
③その社会で受けつがれる、生活・行動のあり方。
報連相が大切だと言われているのは、主にビジネスシーンである。そこで、報連相を育てる畑としての文化を「企業文化」としよう。そうすると、文化の③の意味が一番近いように思う。つまり「社会」ではなく、「その会社で受けつがれる、生活・行動のあり方」である。「生活」というのはしっくりこないので「活動」としよう。
文化は一朝一夕でできるものではない。企業文化も同じである。
畑もまた最初から存在していたわけではない。開拓開墾して畑ができる。
畑を作ったらそれで終わりではない。毎年ほうれん草を育てるならば、種を蒔く前には畑を耕す。
企業文化も報連相を定期的に育てていくならば、耕すことは必要であろう。
文化を耕すとはどういうことか。これが次の疑問である。
畑を耕すことで、ほうれん草が成長しやすくなる。土をやわらかくすることで、芽が出やすく根が伸びやすくなる。
ここからいくつかの疑問が出てくる。文化を耕すとはどういうことか。土にあたるもの(あるいは、こと)は何か。報連相における芽や根は何に当たるか。
考えなくてもいいような疑問ではあるが、考えてみたい。
そもそも、文化とは何かということも考えておこう。
手元の国語辞典で「文化」を引くと、以下の意味が載っていた。
①ひらけない状態から、技術が進み生活が便利になり、また程度が高くなる状態。
②進歩・向上をはかる、人間の精神的ないとなみ(によって作り出されたもの)。
③その社会で受けつがれる、生活・行動のあり方。
報連相が大切だと言われているのは、主にビジネスシーンである。そこで、報連相を育てる畑としての文化を「企業文化」としよう。そうすると、文化の③の意味が一番近いように思う。つまり「社会」ではなく、「その会社で受けつがれる、生活・行動のあり方」である。「生活」というのはしっくりこないので「活動」としよう。
文化は一朝一夕でできるものではない。企業文化も同じである。
畑もまた最初から存在していたわけではない。開拓開墾して畑ができる。
畑を作ったらそれで終わりではない。毎年ほうれん草を育てるならば、種を蒔く前には畑を耕す。
企業文化も報連相を定期的に育てていくならば、耕すことは必要であろう。
文化を耕すとはどういうことか。これが次の疑問である。
2017/04/01
畑を耕すこと
ほうれん草を育てるために必要なものには、どのようなものがあるだろうか。ほうれん草を育てようとすると、何を準備するだろうか。
ほうれん草の種は必要だろう。種を蒔くための場所も必要である。他にも、肥料であるとか、鋤や鍬などの道具類も準備した方がいい。
プランターや土、肥料を用意して庭やベランダで栽培することもできるとは思うが、ここでは畑でほうれん草を育てることを考えてみたい。
種を蒔く前には、畑を耕す。鋤や鍬で畑を掘り返す。余談ではあるが、掘り返すという文字を打ったとき、「耕す」は「田(た)・返す」から来ているのではないかと想像した。方言で、ひっくり返すことを「かやす」という。
さて、なぜ畑を耕すのだろうか。
もっとも大きな理由は、土をやわらかくするためであろう。種を蒔くといっても畑の表面にぱらぱらと蒔くわけではなく、土中に種を埋める。土が固いとやりにくい。また、種から芽が出る、根が生えるときに土が固いと成長しにくい。やわらかい土の中に植えることで芽や根が伸びやすくなる。土中に石などの障害物があれば、掘り返すことで見つけやすく取り除きやすくなるだろう。
他の理由として、土と空気と混ぜるということもあるかもしれない。土と空気を混ぜるのでやわらかくなるともいえる。植物の根にも多少の空気は必要であろう。また適度な水分を保つためにも空気が混ざっていた方がよさそうだ。
他にも、雑草の繁殖を防ぐためであるとか、肥料をまいたあとに混ぜるためであるとか、様々な理由があるだろう。
なぜこのようなことに拘っているのかというと、ほうれん草と報連相を関連づけたいためである。
ほうれん草がよく育つように畑を耕す。報連相がよく育つように「畑を耕す」に相当することは何かを探りたい。
きっかけとなるのは言葉である。
「耕す」を英語でいうと、「cultivate」という。cultivateはラテン語のcolereから来ている。このラテン語colereから派生したcultivateとは別の英単語がある。「culture」である。「耕す」ことと「カルチャー(文化)」は同語源の言葉である。ちなみに「農業」を英語でいうと「agriculture」である。
畑を耕すことは、文化といえる。文化という土壌で、報連相が育つと考えてみたい。
ほうれん草の種は必要だろう。種を蒔くための場所も必要である。他にも、肥料であるとか、鋤や鍬などの道具類も準備した方がいい。
プランターや土、肥料を用意して庭やベランダで栽培することもできるとは思うが、ここでは畑でほうれん草を育てることを考えてみたい。
種を蒔く前には、畑を耕す。鋤や鍬で畑を掘り返す。余談ではあるが、掘り返すという文字を打ったとき、「耕す」は「田(た)・返す」から来ているのではないかと想像した。方言で、ひっくり返すことを「かやす」という。
さて、なぜ畑を耕すのだろうか。
もっとも大きな理由は、土をやわらかくするためであろう。種を蒔くといっても畑の表面にぱらぱらと蒔くわけではなく、土中に種を埋める。土が固いとやりにくい。また、種から芽が出る、根が生えるときに土が固いと成長しにくい。やわらかい土の中に植えることで芽や根が伸びやすくなる。土中に石などの障害物があれば、掘り返すことで見つけやすく取り除きやすくなるだろう。
他の理由として、土と空気と混ぜるということもあるかもしれない。土と空気を混ぜるのでやわらかくなるともいえる。植物の根にも多少の空気は必要であろう。また適度な水分を保つためにも空気が混ざっていた方がよさそうだ。
他にも、雑草の繁殖を防ぐためであるとか、肥料をまいたあとに混ぜるためであるとか、様々な理由があるだろう。
なぜこのようなことに拘っているのかというと、ほうれん草と報連相を関連づけたいためである。
ほうれん草がよく育つように畑を耕す。報連相がよく育つように「畑を耕す」に相当することは何かを探りたい。
きっかけとなるのは言葉である。
「耕す」を英語でいうと、「cultivate」という。cultivateはラテン語のcolereから来ている。このラテン語colereから派生したcultivateとは別の英単語がある。「culture」である。「耕す」ことと「カルチャー(文化)」は同語源の言葉である。ちなみに「農業」を英語でいうと「agriculture」である。
畑を耕すことは、文化といえる。文化という土壌で、報連相が育つと考えてみたい。
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