2013/09/08

わもんな言葉49-壁打ち

何度か「壁打ちわもん」を見たことがあります。

「壁打ちわもん」というのは、話し手が2人(あるいは複数)、聞き手が1人。

話し手の2人をAさん、Bさんとすると、聞き手はまずAさんの話を聞き、その非言語を言語化してBさんに伝え、そしてその話を伝えたBさんの話を聞き、その話の非言語をAさんに伝え…、というのを壁打ちのように繰り返し行っていくというものです。

非言語を伝え合うことで、AさんとBさんの間にあったちょっとしたズレが解消したり、双方の理解度がよりよくなったりしていきます。


先月の萩での黒帯心徒塾で、「壁打ちわもん」を見た方の感想に、「2人の間にあったアクリル板がなくなっていったようだった」というものがありました。

ここで「アクリル板」というのは、その黒帯心徒塾の冒頭で以下のようなアクリル板の例え話があったからです。


ピラニアは獰猛な魚です。

水槽にピラニアと小魚をいっしょに入れておくと、ピラニアは小魚に襲いかかります。

そこで、ピラニアと小魚の間を透明なアクリル板で仕切ると、ピラニアは最初同じように小魚を襲おうとしますが、間のアクリル板に阻まれ、そのうちあきらめてしまいます。

その後にアクリル板を外しても、ピラニアはアクリル板があるものと思ってか、小魚に襲いかからない、という話。

カマスの例としても述べられます。

自分で限界を作っているのではないかという例え話です。


さて、この小魚を襲うのをやめてしまったピラニアを元に戻すには…。

アクリル板の存在を知らないピラニアを水槽に入れること。

アクリル板の存在を知らないピラニアが小魚を襲うのを見て、アクリル板がないことに気付き、元に戻る、とのこと。


そして、今回参加した黒帯心徒塾でも「壁打ちわもん」を見ました。

そこでは、「聞き手が絶対尊敬を話し手の2人に贈ることで、2人の間も絶対尊敬でつながり、そして終わった後でもそれが続く」というコメントがありました。


話し手2人の間に、本当は存在しないアクリル板。

聞き手は、アクリル板の存在を知らないピラニア。

アクリル板がない聞き方そして伝え方をすることで、話し手2人はアクリル板がないことに気付く、というのが「壁打ちわもん」ではないかと思っています。


とすると、壁打ちわもんができるには、話し手2人の間にアクリル板がないと思うこと。

というよりは、元々ないものなので、そんなことすら感じないでしょう。


著者 : 薮原秀樹
サンクチュアリ出版
発売日 : 2013-06-04

2013/08/15

きぬかけの路~金閣寺

(「龍安寺その2」からの続き)

龍安寺を後にし、時間があったので金閣寺へ向かうことにしました。

仁和寺から龍安寺、金閣寺へと続く道を「きぬかけの路」というようです。


きぬかけの路を歩いてしばらくすると、立命館大学があり、その向かい側になにやらアートな雰囲気の建物がありました。

「堂本印象美術館」です。

写真は撮り損ねました。。。


建物を近くで見ようと近づいていたところ、従業員(?)のおば…、お姉さんに声をかけられました。

「無料で展示しているので、どうぞ」

そのときは、そこが美術館であるとも知らず、何を展示しているのかも知らず、でしたが、天気のいい暑い中を歩いていたので、休みがてら見て回ることにしました。

堂本印象というのは、画家の名前ということを知ったのも、美術館に入ってからです(^-^;)


このブログを書くため、堂本印象美術館のホームページを見ると、入館料が掲載されていました。

はて、記憶違いか??

無料で入った気がします。

と、よくよく見ると、「クールスポットのお知らせ」として、「7月2日(火)~9月1日(日)まで入館無料」とのこと。

涼をとるために入った私は正解でした(^-^;)


堂本印象という名前は知りませんでしたが、パンフレットを見ると、「木華開耶媛(このはなさくやひめ)」は見たことがありました。


訪れたときは「モノクロームの可能性」と題された企画展が展示されていて、東寺小子房の襖絵に書かれていた鷲の力強さが印象的でした。


一休みした後、金閣寺へ。


消防訓練が行われている最中でした。


ちょっと足早に




足利義満がお茶の水に使ったという「銀河泉」


義満が手を洗ったという「厳下水」


「龍門の滝」と、登龍門の故事に因んだ「鯉魚石」


「夕佳亭」の床の間。


不動堂。


不動堂で外国人のお子さんがガラガラと鳴らしていたのが可愛くてパチリ。


後ほどバス停で、このお子さんのお母さんに、バスの乗り継ぎについて英語で尋ねられることとなろうとはつゆ知らず。。。

2013/08/11

わもんな言葉48-ハイタッチわもん

内田樹さんの『修行論』を読んでいると、次のような文章に出くわしました。
右手と左手を打ち合わせて拍手するとき、どちらが仕掛けて、どちらが応じているのかを私たちは言うことができない。というのも、両手は同一の共身体から枝分かれして、右手と左手は同じ時間を生きているからである。そこに先後はない。
「石火の機」「間髪を容れず」を説明するためのひとつの例として挙げられている文章です。

そこで、思考が飛びます。

ならば、「ハイタッチ」はどうだろう?


ハイタッチは、自分の手と相手の手を打ち合わせて「パンッ」と音がします。

タイミングが合えばきれいな音が鳴り、気持ちがいいものです。

一方、タイミングが合わないと、相手の手を叩いたように、あるいは叩かれたようになってしまいます。

ということは、ハイタッチでも、最初はどちらかが仕掛けてということはあるかもしれませんが、「パンッ」ときれいな音が出るその瞬間には、どちらが仕掛けて、どちらが応じているのかを言うことができない。

ならば、ハイタッチがきれいにできたとき、その瞬間は、両者は同一の共身体から枝分かれして、同じ時間を生きているとも言えそうです。


そこで、思考が飛びます。

「ハイタッチわもん」はこれか!


話し手と聞き手がつながりあったとき、話聞一如の状態になったとき、きっと、きれいな音が出るのでしょう。

どちらが話し手、どちらが聞き手であるのでなく、同一の共身体から枝分かれして同じ時間を生きているのではないかと思います。


その先は、隻手の声も聞こえるのかもしれません。


修業論 (光文社新書)
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聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2013/08/06

龍安寺その2

(「龍安寺石庭」からの続き)

石庭にしばらくいました。

思ったよりも小さな庭ですが、飽きずに眺めることができます。

かといって、ずっと座っておくこともできませんので、石庭のある方丈の中を少し歩きました。

畳の上に上がることはできませんが、回廊に沿って回ることができます。

方丈内の広間。


襖絵に魅かれます。



別角度から。


方丈の裏手には、有名な蹲踞(つくばい)があります。



方丈の裏手の蹲踞は模型で、本物は蔵六庵という茶室(非公開)にあるとのこと。

真ん中の水が溜まっているところを「口」として、「吾唯足知(われただたるをしる)」という4つの漢字がデザインされています。

無理矢理書くとこんな感じ(漢字)です。
五
矢 口 隹
止

この蹲踞は、水戸光圀公の寄進と伝えられています。


回廊を巡り、もう一度石庭を眺めてから方丈を出ました。

方丈の勅使門。


桜もあるようで、春の季節がいいのかもしれませんが、夏の新緑の境内の散歩もいいですね。



鏡容池は別名おしどり池とも言われているようです。

写真はおしどりとは違うと思います…。


お茶屋のおば…もとい、お姉さんの話によると、やはり春と秋が観光客が一番多いとのこと。

修学旅行などの団体客も多く、団体客がバッティングすると、石庭をゆっくり眺めることはできないそうです。

また、外国人観光客では、中国や韓国など東洋の方々よりは欧米の方々が多いとのこと。

Zenの影響でしょうか。


石庭を含め、小一時間散策してから、龍安寺を後にしました。


(「きぬかけの路~金閣寺」に続く)

2013/08/04

龍安寺石庭

(「龍安寺」からの続き)

さて、今回の目的である龍安寺の石庭です。

龍安寺のホームページによると、「大きな4つの謎が秘められて」いるらしいのですが、4つの謎とは…知りません(^-^;)

石庭には計15個の石が配置されていて、どこから見ても14個しか見えない、ということは聞いたことがありますが、これは謎のひとつなのですかね?

歴史の教科書に載っていたことで石庭のことを知ったのですが、歴史的な知識もありません。


枯山水の庭の代表、というようなことしか知らないものの、なぜか、一度は見てみたいと思っていました。

中学校の修学旅行が関西で、そのときの自由行動の際に龍安寺を提案したのですが却下された記憶があります。

そういえば、その修学旅行ではどこに行ったか…。

記憶が定かでないです…。


それが今頃になったのは…、これもなぜですかね(^-^;)


実際に見た印象は、思っていたよりも小さい庭でした。

が、飽きずに眺めることができます。

時折、眺める位置を変えては、石の数を数えたりしていました(笑)


あまり言葉はいらないと思いますので、撮った写真を並べるだけにいたします。



(「龍安寺その2」に続く)

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