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2017/02/27

継続は力なり

ここ数日、毎日ブログ投稿をしている。と自分自身でも半信半疑だったのだが、ひとまず1週間は続き、三日坊主はクリアできた。

今までは、別に毎日書かなくともいいと思っていた。思いついたときに思いついたよう書いて投稿していた。

それが、毎日書いてみよう、と変わったのは、池上彰さんと竹内政明さんの『書く力』を読んだからだ。

池上彰さんは、テレビのコメンテーターとして活躍されているようで、たくさんの著書を書店でも見かけるので名前は知っていた。ニュースなどの説明、解説がわかりやすいといわれている。一方、竹内政明さんのことは知らなかった。読売新聞のコラム「編集手帳」を2001年から担当している方で、池上さんによれば「読売新聞の一面を下から読ませる男」だという。

このブログは基本的にテーマを決めていない。書きたいように書いている。書きたいときに書いていた。1日に数回投稿したり、何ヶ月も放置していたりしていた。自分が思ったこと考えたことを書いていた。深くは考えていない。政治経済には疎く、社会的に大きな問題は取り扱っていない。かといって日記にはしたくない。

定期的にこのブログを読んでいる人は少ないにしろ、果たしてこのような文章を読みたい人がいるのだろうか、という思いがいつもあり、下書きのまま放置しているものもある。途中で投げ出しているものもある。

『書く力』は池上さんと竹内さんの対談で、「文章がどんどん書きたくなる」という帯がついていた。

読んでいくと、たしかに何か書きたくなった。自分にとって一番有効だと思ったのは、「小さな話から入って大きな話につなげる」ということである。身近な話は魅力的である、ということにも安心した。

池上さんや竹内さんほどの知識や文章力はない。深く考えてもいない。

それでも例示されていた「編集手帳」のような文章を書いてみたい。そう思った。

仕事で毎日コラムを書いていると、「ぜひ、これを書きたい」と思うような日は、一年のうち20日もあれば多いくらいです。「どうしても書きたいこと」なんてものは、そうそうはない。けれども、編集手帳を空欄にして新聞を出すわけにはいかない。締め切りの時刻は迫ってくる。起承転結なんて知ったことか。きのう見た映画でも、今日のお天気でも、とにかく肌で、目で、耳で、自分がわかっていることを書くしかないですよね。
『書く力』のなかで、竹内さんがこのように述べていた。

書きたいように書いていこう。毎日投稿しよう。書きたいことがたくさんあっても1日1回の投稿にして、ネタ切れの際のストックとしておこう。『書く力』を読み進めていくと、自分にとって少し頑張ればできる範囲のルールを作りはじめていた。

いつまで続くことやらまだ半信半疑ではある。信じるためには続けるしかない。

2017/02/22

ただDADAこねくり回して

RADWINPSに「DADA」という曲がある。ドラムが印象的でテンポがいい。歌詞には言葉遊びが多く、意味を考えると重くなりがちだが、皮肉めいたユーモアが感じられる。MVは言葉が氾濫していて見ていて飽きない。



竹内政明さんの『「編集手帳」の文章術』を読んだ。第1章は「私の『文章十戎』」として、文章を書くとき言い聞かせている10のルールを挙げていた。第1戎は「「ダ」文を用いるなかれ」である。頭のなかで「DADA」が流れた。

「ダ」文というのは、文末を「…だ」とした文のこと。竹内さんは「編集手帳(読売新聞の1面コラム)」では「…だ」を使わず、「…である」と書くという。「…だ」には、音読するとブツッ、ブツッと断ち切るところがある。また、必要以上に文章のテンポを良くしてしまう属性もある。読者の読む速度をコントロールし、少しでも丁寧に活字を追ってもらう意図もあって「…である」を採用しているようだ。

「DADA」が流れる。テンポがいい。歌詞には「簡単に命を断ち切らないで」というメッセージが込められている。

「…だ」には、音読するとブツッ、ブツッと断ち切るところがある。また、必要以上に文章のテンポを良くしてしまう属性がある。

「DADA」が流れる。
どうなってんだ どうなってるんだ あんたもう黙っておくんな
どうなろうが なんだって言うんだ そんなこった知ったこっちゃ
ないんだこっちゃ なんだっていいんだ エンヤコラ やんのかこら
ハッケヨイで さぁさぁノコッタ

読書とは格闘技であると誰かが言った。戦う気はない。

ただ駄々をこねて駄文を書いただけだ。

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