2017/07/12

バニラ・エアの出来事から考える

6月末、朝日新聞が「車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪」という見出しで、ある出来事を報道した。
鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。
その後、その車いすの男性が事前に連絡をしていなかった、などと、いわゆる「炎上」した。今は下火になっている。

ネット上での記事を読んだだけであるため、実際のところ、どのようなやり取り、経緯があったのかはわからない。ただ、様々なことを考えた。大きくは2つある。1つは表現方法と視点について、もう1つはコミュニケーションについて、である。

表現方法と視点については冒頭の見出しがわかりやすい例であると思う。見出しには「車いす客に自力でタラップ上がらせる」とある。主語は明示されていないが、あとに「バニラ・エア謝罪」と続いているので、「(バニラ・エアが)車いす客に自力でタラップ上がらせる」と読むことができる。しかし新聞記事の内容や他のサイトでの記事などからもわかるように、バニラ・エア側が「自力で上れ」と命令したわけではなさそうである。仕方なく自力でタラップを上ったというところであろう。

「(さ)せる」という助動詞は「使役」を表す。使役する人、される人という構図をイメージする。「車いす客に自力でタラップ上がらせる」という表現は、一見、車いすの男性側に立った表現に思えるが、記事内容等から見ると、バニラ・エアを悪者にしようという表現に見えてしまう。たとえば、「車いす客、自力でタラップ上がる バニラ・エア謝罪」という見出しだったらどうだろうか。

もう1つのコミュニケーションについては、憶測も混じっている。車いすの男性もバニラ・エア側も、もう少し歩み寄ることができたのではないかと思ったことである。車いすの男性(木島さん)が書いた記事(歩けない人は乗せれません! 2回目)を読むと、最初のやり取りから壁を感じたのではないかと思う。
階段の搭乗タラップの写真を見せられ、歩けますか?と聞かれ、歩けませんと返答したら「乗れません」の一言。
バニラ・エア側からこの状況を書いたものは見ていないので一概にはいえないかもしれないが、断る前、禁止する前に、バニラ・エア側から手を差し伸べるような一言、たとえば「どのような手助けが必要ですか」というような言葉がけがあれば、良かったのではないかと思う。

また、木島さん側も事前連絡をしていれば良かったのではないかとも思う。もちろん、事前連絡なしでも搭乗拒否などされないような世界が望ましい。しかし、まだそうなっていないからこそ「障害者差別禁止法」があり、木島さんもそのような差別をなくそうと活動している。事前連絡をしたのに搭乗拒否をされるようなことがあれば、それこそ大問題になるであろう。事前連絡をしなかったことが意図的なのか、非意図的なのかはわからないが、早めに手を打つに越したことはないと思う。

だからといって、双方悪いとは思っていない。終わった後で部外者だから何だかんだ言っているだけである。

私にとって大切だと思うことは、もし自分が当事者だったならばどんな態度でどんな行動をとるか、ということである。もし自分が木島さんの立場だったら、もし自分がバニラ・エアの立場だったら、もし第三者の立場でこの出来事に遭遇したら。

バニラ・エアの出来事は、様々なことを考えた出来事である。