2017/07/07
定跡と常識
藤井聡太さんの最多連勝記録(29連勝)や、その連勝をストップさせた佐々木勇気さん、そして先日引退された加藤一二三さんなど、将棋界が注目されている。
それに触発されたということもあり、最近、羽生善治さんの著書を読み返していた。
「直感」と「読み」と「大局観」。棋士はこの3つを駆使して対局に臨んでいる。そして経験を積むにつれ、「直感」と「大局観」を使う比重が高くなると、羽生さんはいう。
これは将棋だけのことではない。仕事でも遊びでも何でも、「直感」と「読み」と「大局観」を使う。そして最初のうちは「読み」の比率が高く、経験を積むにつれ「直感」「大局観」の比率が高くなっていくだろう。
「読み」というのは、論理計算力ともいえる。将棋でいえば、幾通りの手が読めるか、何手先まで読めるか、ということである。
子供のころ、家の近所の地図を作ったことがある。この道を行けばどこにつながっているのか、どこに何があるのか、実際に歩いて確認して作った。歩いて行ける距離なので大した地図ではないが、市販の地図には載っていないような細い道やあぜ道まで描いた記憶がある。こういった試行錯誤が「読み」にあたると思う。
「大局観」は地図のようなものである。俯瞰力ともいう。「鳥の目・虫の目」というとき、「鳥の目」が俯瞰力・大局観にあたり、「虫の目」は「読み」に近い。高く飛べば飛ぶほど地図の範囲は広がる。遠くまで見える。視座を高くすれば視野が広がる。目的地への道筋をつけることができる。
この例でいうと、「直感」は地図と現実のギャップといえるかもしれない。
最近は精度が上がってきているのであまり聞かないが、以前はナビ通りに車で走っていると行き止まりだったというような話を聞くことがあった。途中で何かおかしいなと気づくこともあっただろう。ちょっとした違和感が「直感」の種ではないだろうか。
先の例はあまりよくない方の違和感であるが、良い方の違和感もあるだろう。地図に載っていない道を見つけて、こっちの方にいけば近道できるのではないかというような違和感である。
先人はいる。だから地図は作られていることが多いし、作ることができる。しかし、実際歩いたとき、あるいは走ったとき地図とは違うことが起こるかもしれない。異なる道を見つけるかもしれない。
引退された加藤一二三さんは大山康晴さんに「天才」と呼ばれたという。その加藤さんは羽生さんを天才という。加藤さんも羽生さんも中学生でプロ棋士となった。そして天才と呼ばれる中学生プロ棋士の藤井さん。将棋の戦法や定跡は上書きされる。将棋界の地図も上書きされている。
私の地図はどうだろうか。
地図を持とう。そして、実際に歩いていこう。