法事のため、実家に帰省してきました。
その行き帰りの車内で読んだ本が、齋藤孝さんの『古典力』です。
私の最近の読書傾向として、古典と呼ばれるものが増えてきているように思います。
今、主に読んでいる本は『孟子』。
本を読むこと自体は嫌いではないのですが、中高生の頃はほとんど本を読んでいません。
本をよく読み始めたのは、大学生になってしばらくしてからです。
今回は、本をよく読み始めたきっかけを書いてみたいと思います。
大学は文学部です。
せっかく文学部に入ったのだから、本は読んでおいた方がいいな、とは思いました。
が、それほど強くはありません。
読書が好きになったきっかけは、やはり「本」です。
きっかけとなった本は2冊あります。
1冊は渡部昇一さんの『知的生活の方法』。
もう1冊は京極夏彦さんの『塗仏の宴』。
時系列で並べると、まずは、たしか大学1回生の夏休みだったと思います。
関西の大学に入学し、1人暮らしを始めていました。
そこに、同じ高校から東京に出ていた友人数人が、夏休みの帰省のため、私の住んでいた部屋を訪れました。
宿代わりです。
そのときに、友人の1人が持っていた本が、京極夏彦さんの『鉄鼠の檻』です。
分厚い、というのが第一印象。
その頃はまだ本をあまり読んでいませんでしたが、小学校の頃は図書館にあった(おそらく子供向けの)シャーロックホームズものなど、推理小説の類は読んでいました。
京極さんの本も、その友人に問うと「ミステリ」とのこと。
そのときに京極さんの刊行している本のタイトルをメモでもらった記憶があります。
しかし、そこでは、京極さんの本は読むことはありませんでした。
特に本好きになることもありませんでした。
しかし、本は読んでおいた方がいいかな、ということで、少しずつ本は読み始めました。
渡部昇一さんの『知的生活の方法』に出会ったのはこの頃だと思います。
明確な目的があって大学に入ったわけではなく、しかし勉強すること自体は嫌いではなかったので、大学で扱われている授業の本などは読んでいましたが、まぁ漫然と生活をしていたところに興味をひくタイトルでした。
自分の書斎を持って、本に囲まれて生活するのも悪くない。
むしろ、好ましく感じました。
そして、大学生協の本屋に度々行くようになりました。
度々行くようになった大学生協で、フランソワール・ガデ(だったと思う)『ソシュール言語学入門』という本を見つけ、言語学に興味を持ち始めました。
英語をもっと学んでみたかった、という考えがあり大学に行ったのですが、外国語学部に入学するような学力はなく、そして、国語は好きなのですが、点数はとれませんでした。
代わりに点数が取れたのは数学なので、数学が入試科目にある文学部を探し、その文学部に合格することができました。
そして「言語学」という学問を知り、「ことば」への興味が出てきます。
しばらくして、弟が東京からの帰りに、私の住んでいた部屋に立ち寄ったことがありました。
そこで、「重いから置いていく」と、1冊の本を置いて帰りました。
それが、京極夏彦さんの『塗仏の宴 宴の支度』です。
漢文調の少し固い文体はなんとなく好みで、取り扱っているテーマや薀蓄は面白く感じました。
以前に友人に薦められていたこともあり、他にも読んでみようという気になりました。
そして続いて読んだのが、その続きで『塗仏の宴 宴の始末』。
本屋に行くまで、『宴の支度』の方は、短編集と思っていました(^-^;)
これが、すごかった!
『宴の支度』で語られていた話が、あれよあれよという間につながり、解体され、再構築される。
度肝を抜かれました!
昔、シャーロックホームズなどの推理小説をいくつか読んだだけですが、「日本のミステリはものすごく進んでいる」と感じました。
こういった経験があり、本を読むことが好きになり、本を読んでいます。
特に好きだと感じる本は、何となく知的好奇心をかられるような本です。
「何となく」というところが大事で、次に何か読んでみよう、調べてみよう、と思わせてくれる本が好みです。
齋藤孝さんの『古典力』を読んで、古典の読み方として「我田引水読み」や、「さかのぼり読み」などが出てきたとき、「その通り!」と、えらそうに思ってしまいました。
古典力 (岩波新書)