『黒帯日めくりカレンダー』、27日の言葉は「心ある一人――自分のあり方が世界をつくる最初の一滴になる。」
この言葉を見たのは、池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』という本を読み終えたときでした。
以前に、わもんな言葉で「バタフライ効果」というものに言及したことがあります。
「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスで台風となる」という例えで、無視できるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となることを指します。
冒頭の一滴は、蝶の羽ばたきと捉えていいでしょう。
自分のあり方が、世界をつくる最初の一滴、羽ばたきです。
『単純な脳、複雑な「私」』のなかで、「自己組織化マップ」の紹介がありました。
「自己組織化」というのは、簡単にいうと、教えていないのに自然に秩序が生まれてくることをいいます。
紹介されていた「自己組織化マップ」は、10×10マス(計100マス)の色の変化のシュミレーションで、ランダムに色づけされた10×10マス(計100マス)に色を混ぜていく様子です。
ランダムに色づけられた100マスのパレット内ひとつに色を混ぜます。
このとき混ぜる色は、これもまたランダムに色づけられたもの。
ルールは2つで、1つは、ランダムに色づけられた1色を100マスの色の中で一番近い色のパレットに混ぜるということ。
もうひとつは、その色の混ざったパレットの上下左右斜めの8マスのパレットにも色を混ぜるということです。
もちろん、一滴ではほとんど変わりありません。
しかし、何十回、何百回、何千回と繰り返していると、次第に色が分類されているように見えてきます。
パレットのひとつが私だとしましょう。
私が一滴の色を受け、周りの人に同じ色を与える。
私には世界がどのように変わっているのかはわかりません。
しかし、それは世界を変える一滴だと思うのです。
最初で最後かもしれません。
それでも、世界を変えた一滴だと思います。
単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)
聞けば叶う〜わもん入門
コホーネンの自己組織化マップ
2013/11/28
2013/11/15
わもんな言葉58-わもんメビウスの法則
(画像:Wikipedia「メビウスの帯」より)
メビウスの輪(あるいは、メビウスの帯)というのをご存知でしょうか。
帯状の長方形の片方の端を180°ひねって、もう片方の端に貼り合わせた形をしています。
メビウスの帯上の平面をトコトコと歩いていると、最初は外側を歩いているのに、一周すると内側を歩くことになり、また一周すると外側を…、というおもしろい平面です。
このような平面を研究していたのが、数学者のメビウスさんで、メビウスの帯と名付けられました。
「わもんメビウスの法則」というのは、数学ではありませんが、「SOS理論」と「SNS理論」を組み合わせたもの。
「SOS理論」とは「そう 思ったら そう」の略、「SNS理論」とは「そう なれば すごい」の略(笑)
組み合わせると、「そう思ったらそうなればすごいと思ったらそうなれば…」。
「SOSNSOSNSOS…理論」(笑)
メビウスの帯には、数学的にいうと「向き付け不可能性」という特徴があります。
「向き付け不可能性」というのは、簡単にいうと、どちらが表でどちらが裏か決定できない、ということです。
先ほどは「SOS理論」を先に「SNS理論」を後に書きましたが、鶏が先か卵が先かと同じように、どちらが先とも言えません。
「ウラがあっても、おもてなし」という言葉がありますが、本当の「おもてなし」は、ウラもないものだと思います。
「もてなす心」にも通じるものがありますね。
聞けば叶う〜わもん入門
2013/11/07
わもんな言葉57-同通
話し言葉において、ある言語から別の言語に変換することを「通訳」といいます。
通訳には「逐次通訳」と「同時通訳」という2種類の形式があるそうです。
例えば日本語の話者の話を通訳者が英語に訳す場合でいうと、話者が日本語で区切りがいいところまで話し、その話を通訳者が英語で話し、また話者が日本語で話し、通訳者が英語で話し、と交替交替に通訳をしていくやり方が「逐次通訳」。
「同時通訳」というのは、日本語の話者が話しているそばから、英語の通訳者が話をしていくやり方です。
「同時通訳」のことを略して「同通(どうつう)」。
「逐次通訳」と「同時通訳」は、どちらも異なる言語を訳すということで、その2つ(以上)の言語を知っていなければなりません。
「逐次通訳」も「同時通訳」も、どちらも日本語しか知らない私にとっては難しいことですが、どちらかというと、「同時通訳」の方が難しいように感じます。
その理由は、「逐次通訳」ならば、一塊の文章をいったんまとめて異なる言語に言いかえて話す、ということができそうですが、「同時通訳」は、その話者が次に言わんとすることを予測して訳していかなければならないと感じるからです。
私にとって一番身近な言語は日本語で、その次は学校で習ったことのある英語となるので、日本語と英語のことでしか思い浮かべていないからかもしれません。
例えば日本語の場合は動詞が文の一番最後に来ます。
しかし、英語は主語の後にすぐ動詞が来ます。
日本語を英語に同時通訳をする場合、日本語では動詞がまだ現れていないときに、英語では動詞を発していないと文にならないのではないかと感じるためです。
日本語話者の話をよく聞き、このようなことを話すだろうと当たりをつけ、いわば先取りして英語で話すことをしなければならないのではないか、だから難しいと感じます。
「同時」通訳といっても実際は多少のタイムラグがあるとは思いますが、これがもし仮に本当に同時であるならば、つまり、日本語で話し始めると同時に英語でも話し始め、日本語で話し終わると同時に英語も話し終わるということができれば、その2人の話者は異なる言語で話しているとはいえ、一心同体ではないか、つまりは話聞一如の状態ではないかと思います。
(追記)
【同時通訳のわもん流定義(パヴィ・ ヴァージョン)】
聞けば叶う〜わもん入門
通訳には「逐次通訳」と「同時通訳」という2種類の形式があるそうです。
例えば日本語の話者の話を通訳者が英語に訳す場合でいうと、話者が日本語で区切りがいいところまで話し、その話を通訳者が英語で話し、また話者が日本語で話し、通訳者が英語で話し、と交替交替に通訳をしていくやり方が「逐次通訳」。
「同時通訳」というのは、日本語の話者が話しているそばから、英語の通訳者が話をしていくやり方です。
「同時通訳」のことを略して「同通(どうつう)」。
「逐次通訳」と「同時通訳」は、どちらも異なる言語を訳すということで、その2つ(以上)の言語を知っていなければなりません。
「逐次通訳」も「同時通訳」も、どちらも日本語しか知らない私にとっては難しいことですが、どちらかというと、「同時通訳」の方が難しいように感じます。
その理由は、「逐次通訳」ならば、一塊の文章をいったんまとめて異なる言語に言いかえて話す、ということができそうですが、「同時通訳」は、その話者が次に言わんとすることを予測して訳していかなければならないと感じるからです。
私にとって一番身近な言語は日本語で、その次は学校で習ったことのある英語となるので、日本語と英語のことでしか思い浮かべていないからかもしれません。
例えば日本語の場合は動詞が文の一番最後に来ます。
しかし、英語は主語の後にすぐ動詞が来ます。
日本語を英語に同時通訳をする場合、日本語では動詞がまだ現れていないときに、英語では動詞を発していないと文にならないのではないかと感じるためです。
日本語話者の話をよく聞き、このようなことを話すだろうと当たりをつけ、いわば先取りして英語で話すことをしなければならないのではないか、だから難しいと感じます。
「同時」通訳といっても実際は多少のタイムラグがあるとは思いますが、これがもし仮に本当に同時であるならば、つまり、日本語で話し始めると同時に英語でも話し始め、日本語で話し終わると同時に英語も話し終わるということができれば、その2人の話者は異なる言語で話しているとはいえ、一心同体ではないか、つまりは話聞一如の状態ではないかと思います。
(追記)
【同時通訳のわもん流定義(パヴィ・ ヴァージョン)】
同時通訳者【以下通訳者】が完全に離我すると、
通訳者は話者と非言語の場で完全につながり、話者の思念とひとつになります。
地下水脈を通して話者の思念/想いが通訳者を満たし、通訳者から言葉として表れます。
その瞬間、通訳者にとって話者は【あなたはもうひとりの私】であり、
それは離我による絶対的存在との融合であり、完全なる至高体験です。
聞けば叶う〜わもん入門
2013/11/01
わもんな言葉56-聞くことで救える命がある
facebookのシェアで、ジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor)さんのことを知りました。
シェアされていたのは、TEDの映像です。
映像を見て、テイラーさんの本があることを知り、読んでみました。
『奇跡の脳』という本です。
テイラーさんは脳科学者ですが、ある日、脳卒中を起こしてしまいます。
『奇跡の脳』には、脳卒中により脳の機能が衰えていく様子や、手術・リハビリ等により回復していく様子が、脳科学者の視点から詳しく書かれています。
脳科学者が自分の脳を解説した稀有な本です。
手術後のリハビリ中のことを書いた章「最も必要だったこと」に、次の言葉がありました。
回復するために、最も必要だったのは、周りの人々。
脳卒中前の優秀な脳科学者としてのテイラーさんではなく、「これからのわたしを愛してくれる人々」です。
脳卒中だけでなく、聞くことで救える命はあると思います。
今ここにいる、ありのままのあなたとして受け入れて話を聞く。
このような聞き方を「わもん」と名付けています。
奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)
シェアされていたのは、TEDの映像です。
映像を見て、テイラーさんの本があることを知り、読んでみました。
『奇跡の脳』という本です。
テイラーさんは脳科学者ですが、ある日、脳卒中を起こしてしまいます。
『奇跡の脳』には、脳卒中により脳の機能が衰えていく様子や、手術・リハビリ等により回復していく様子が、脳科学者の視点から詳しく書かれています。
脳科学者が自分の脳を解説した稀有な本です。
手術後のリハビリ中のことを書いた章「最も必要だったこと」に、次の言葉がありました。
これまでのわたしではなく、これからのわたしを愛してくれる人々が必要だったのです。脳科学者として様々な活動をされていたテイラーさんは、脳卒中により記憶能力も言語能力もおぼつかなくなってしまいました。
回復するために、最も必要だったのは、周りの人々。
脳卒中前の優秀な脳科学者としてのテイラーさんではなく、「これからのわたしを愛してくれる人々」です。
どうしても、自分を今ここにいる、ありのままのわたしとして受け入れてくれる人々が必要でした。
脳卒中だけでなく、聞くことで救える命はあると思います。
今ここにいる、ありのままのあなたとして受け入れて話を聞く。
このような聞き方を「わもん」と名付けています。
奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)
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