ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』は、1980年に出版された。日本では1990年に東京創元社より邦訳が出ている。文庫化されてもいてもおかしくないのだが、文庫化はされていない(2019年1月現在)。
エーコは記号論の学者でありながら、48歳のときに『薔薇の名前』で小説家デビュー。2016年に亡くなるまでに、『薔薇の名前』を含め以下の計7作の小説を書いている。
- 『薔薇の名前』(1980)
- 『フーコーの振り子』(1988)
- 『前日島』(1994)
- 『バウドリーノ』(2000)
- 『女王ロアーナ、神秘の炎』(2004)
- 『プラハの墓地』(2010)
- 『ヌメロ・ゼロ』(2015)
東京創元社から出版されている河島英昭訳『薔薇の名前』は上・下巻に分冊されている。私の手元にあるものは、上巻は1996年12月5日の第25版、下巻は同年同日の第21版のものである。『薔薇の名前』から引用する場合、手元にあるこれらの本より引用する。
エーコはイタリアの人で、『薔薇の名前』はイタリア語で出版されている。ベストセラーとなり、世界各国でも翻訳されている。1986年にはショーン・コネリー主演で映画化もされている。14世紀イタリアの修道院を舞台とした歴史推理小説である。
しかし、小説は「プロローグ」に先駆けて、「手記だ、当然のことながら」と題されたところからはじまっている。
1968年8月16日、修道院長ヴァレという者のペンによる一巻の書物『J・マビヨン師の版に基づきフランス語に訳出せるメルクのアドソン師の手記』(1842年、パリ、ラ・スルス修道院印刷所刊)を私は手に入れた。まず、メルクのアドソ(アドソン師)が事件を回想して手記を書いた。それをマビヨン師がメルクの僧院で発見し復元。その復元版をヴァレがフランス語に翻訳したものを、私は手に入れた、という設定がなされている。私(エーコと思われる)はそれをイタリア語に訳し、発表したものが『薔薇の名前』である。
(上p.13。漢数字をアラビア数字に変換)
アドソは1327年末頃に事件に遭遇、このときアドソは見習修道士。老年になってその事件を回想し手記を書く(ラテン語)。手記を書いた年代は物語中には出てこないが、14世紀末頃ではないかと思われる。それを1600年代(17世紀)にマビヨンが復元、1842年(19世紀)にヴァレが仏訳、1980年(20世紀)にイタリア語に訳して出版という複雑な設定である。
アドソの手記部分が物語の中心であり、そこだけでも十分読み応えがある物語であるにもかかわらず、なぜこのような設定を設けているのか。
『薔薇の名前』には、単なる謎解きの推理小説とは異なる、小説としての仕掛けがある。