2019/01/29

翻訳だ、当然のことながら

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ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』は、1980年に出版された。日本では1990年に東京創元社より邦訳が出ている。文庫化されてもいてもおかしくないのだが、文庫化はされていない(2019年1月現在)。

エーコは記号論の学者でありながら、48歳のときに『薔薇の名前』で小説家デビュー。2016年に亡くなるまでに、『薔薇の名前』を含め以下の計7作の小説を書いている。
  1. 『薔薇の名前』(1980)
  2. 『フーコーの振り子』(1988)
  3. 『前日島』(1994)
  4. 『バウドリーノ』(2000)
  5. 『女王ロアーナ、神秘の炎』(2004)
  6. 『プラハの墓地』(2010)
  7. 『ヌメロ・ゼロ』(2015)
これらの小説のうち、『薔薇の名前』『フーコーの振り子』『前日島』『バウドリーノ』『ヌメロ・ゼロ』の5作が私の手元にある。『薔薇の名前』以外は文庫本だ。

東京創元社から出版されている河島英昭訳『薔薇の名前』は上・下巻に分冊されている。私の手元にあるものは、上巻は1996年12月5日の第25版、下巻は同年同日の第21版のものである。『薔薇の名前』から引用する場合、手元にあるこれらの本より引用する。

エーコはイタリアの人で、『薔薇の名前』はイタリア語で出版されている。ベストセラーとなり、世界各国でも翻訳されている。1986年にはショーン・コネリー主演で映画化もされている。14世紀イタリアの修道院を舞台とした歴史推理小説である。

しかし、小説は「プロローグ」に先駆けて、「手記だ、当然のことながら」と題されたところからはじまっている。
1968年8月16日、修道院長ヴァレという者のペンによる一巻の書物『J・マビヨン師の版に基づきフランス語に訳出せるメルクのアドソン師の手記』(1842年、パリ、ラ・スルス修道院印刷所刊)を私は手に入れた。
(上p.13。漢数字をアラビア数字に変換)
まず、メルクのアドソ(アドソン師)が事件を回想して手記を書いた。それをマビヨン師がメルクの僧院で発見し復元。その復元版をヴァレがフランス語に翻訳したものを、私は手に入れた、という設定がなされている。私(エーコと思われる)はそれをイタリア語に訳し、発表したものが『薔薇の名前』である。

アドソは1327年末頃に事件に遭遇、このときアドソは見習修道士。老年になってその事件を回想し手記を書く(ラテン語)。手記を書いた年代は物語中には出てこないが、14世紀末頃ではないかと思われる。それを1600年代(17世紀)にマビヨンが復元、1842年(19世紀)にヴァレが仏訳、1980年(20世紀)にイタリア語に訳して出版という複雑な設定である。

アドソの手記部分が物語の中心であり、そこだけでも十分読み応えがある物語であるにもかかわらず、なぜこのような設定を設けているのか。

『薔薇の名前』には、単なる謎解きの推理小説とは異なる、小説としての仕掛けがある。

2019/01/24

『薔薇の名前』が残したもの

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を初めて読んだのは大学生のときである。

高校まではそれほど本を読んでいなかった。教科書だけで十分である。しかし、大学に入り、本を読まなければと思い読みはじめた。

入学した学部は文学部である。文学を学びたかったからではなく、英語を学びたかった。外国語学部を目指してもよかったのかもしれないが、英語の成績は他の教科に比べあまりよくなかったので外国語学部は合格できないだろうと思い文学部を選んだ。無事入学試験に合格し、文学部に入るからには文学についても知っておいたほうがいいだろうと思い、文学作品と呼ばれるものを少しずつ読みはじめた。

しかし、よくわからない。

話としておもしろいものはいくつかあった。たとえばシェイクスピアの『ハムレット』などはストーリーとしてもおもしろい。だが、文学的なことはほとんどわからなかった。

文学作品のなかで特に小説は退屈で、ストーリーが遅々として進まず、読むのに時間がかかった。解説書や概要書のほうがおもしろく読めた。まずは読書に慣れることが大切だと思い、読書をやめることはしなかったが、しだいに、読む小説のジャンルは文学作品から大衆小説、特に推理小説へと変わっていった。

そんなときに出会ったのが、エーコの『薔薇の名前』である。

そしてまた、別のルートからウンベルト・エーコのことを知った。

「記号論」からである。

文学部での専攻は英語学であった。学ぶうちに興味の範囲はひろがっていき、英語学から言語学へと移っていった。そして、言語学の父といわれるソシュールのことを知った。

ソシュールの『一般言語学講義』のなかで、記号論(記号学)についての言及があった。

現在は『一般言語学講義』が手元にないため文言を参照することができないのだが、その本のなかでは「記号の学」という表記だったように記憶している。言語というのは記号のひとつであり、言語学を包括するものとして記号学があるのではないかという内容だったと記憶している。「記号学(記号論)」が興味の対象になった。

そして本屋でウンベルト・エーコの『記号論』と出会った。

知った順序として、『薔薇の名前』が先だったのか、『記号論』が先だったのかは覚えていない。ほぼ同時期だったように思う。著者の名前が似ていたので同姓同名の著者かと疑った記憶がある。『記号論』の著者名の表記はU・エーコだった。著者略歴を見ると同一人物だった。

『薔薇の名前』はおもしろかった。

当時のわたしは未熟な読み手であり、おもしろいかおもしろくないかくらいの判断しかできなかった。未熟なことはいまでも変わりはしないが、なぜおもしろいと思ったのか、自分はどこをおもしろいと思っているのかなど、以前よりは語ることができるように思う。

先日、ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』を読んだ。エーコ最後の小説である。それをきっかけに、また『薔薇の名前』を読みはじめた。

これから複数回に分けてウンベルト・エーコの『薔薇の名前』について、自分の経験や体験も踏まえながら、紹介していきたいと思う。





(続きはこちら

2019/01/17

自己ベスト更新

自分のなかでベストを尽くす。

それが自己ベスト。

習作25'(5:04)
習作25を再編しました。


習作25(4:47)※再掲

2019/01/07

思ったよりいい曲になりました。

これまでで一番いい曲を作りました(当社比)。

今のところ、一番のお気に入りです。

タイトルとか、イメージ画像とかをつけたくなっています。


習作25(4:47)

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