その言葉とは、「受身厳禁」「油断大敵」。
いつしかあまり聞かなくなりました。
その代わりに、前回のわもんな言葉「間がさす」の中で取り上げた、「結界を張る」と言うことが多くなったように思います。
それが偶然なのか必然なのか、意識的なのか無意識的なのか、はたまた私の勝手な思い込みなのか。
実際のところはわかりませんが、私は以下のように考えます。
マザー・テレサの言葉の中に、「私は反戦運動には参加しないが、平和運動なら参加する」という旨の言葉があります。
実際の活動は、反戦運動も平和運動も変わりないかもしれません。
しかし、「反戦運動」という言葉は、戦いに反対する運動を意味します。
戦いがあることを前提とした運動になります。
戦いがあるから、戦いに反対する運動という意味です。
一方、「平和運動」という言葉は、平和に向けた運動という意味で、戦いがあることは前提としていません。
「受身厳禁」「油断大敵」という言葉は、「受身である」こと、「油断がある」ことを前提とした言葉です。
受身であることを否定する、油断することを否定する意味が含まれています。
そういった言葉を使わない、意識的にか無意識的にか、使わなくなり、代わりに「結界を張る」と言うことが多くなったのではないか、と勝手に考えています。
目標設定やアファメーションの方法として、「肯定形を使う」ということがポイントとしてよく挙げられます。
否定形は肯定形を前提とした言葉です。
「脳は否定形を理解できない」ということもよく聞きますが、否定形を理解できないわけではなく、否定したいもの(ここでは肯定形)をも理解しているためだと思っています。
さらにマザー・テレサの言葉を挙げます。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
聞けば叶う〜わもん入門
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